本ページはプロモーションが含まれています

【神様紹介2】仲哀天皇とは?神託を拒み香椎で崩御した第14代天皇

仲哀天皇(チュウアイテンノウ)は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる第14代天皇で、父・妻・子も神様として有名です。

仲哀天皇の伝承で特に有名なのは、熊襲を討つために西へ向かったものの、神の言葉を信じなかったため筑紫で崩御した、「神意を見誤った王」として語られる話です。

なお、仲哀天皇は古代史上の実像がはっきりしない人物でもあります。

この神社に参拝すると、不思議と気持ちが落ち着く。力をもらえる。そんな感覚があるなら、その神社との属性の相性がよいのかもしれません。属性を知りたい方は下記の神社属性診断を試してみてください。ご自身と相性の良い神社を見つけれることができますよ。

神社属性(繭気属性)自動診断ツールはこちら(当サイトTOP)

スポンサーリンク
目次

仲哀天皇の別名

たらしなかつひこのみこと:足仲彦尊、足仲彦命、帯中津彦命、足仲津彦命

「仲哀天皇」は後世の呼び名です。『古事記』『日本書紀』では「足仲彦」「帯中日子」「帯中津日子」などの名で伝えられます。

仲哀天皇はなんの神様?

仲哀天皇は、『古事記』『日本書紀』に第14代天皇として伝えられ、死後に神として祀られた存在です。

神社では、天皇として国を守る神として信仰されています。また、熊襲を討つために西へ向かった伝承から、武運に関わる神としても見られます。

筑紫で神のお告げを疑い、そのまま命を落としたという場面が強く残っているため、神の言葉を退けた天皇としても語られる存在です。

仲哀天皇は実在した?死因は?

『古事記』『日本書紀』では第14代天皇として伝えられていますが、実際にいつ在位したのか、どこまでが史実なのかは明らかではありません。4世紀ごろの天皇として語られますが、伝承色の強い人物です。

死因についても、『古事記』と『日本書紀』で伝え方が違います。

『日本書紀』では、仲哀天皇は神のお告げを信じずに熊襲を攻めます。しかし勝つことができず、その後に病で亡くなったとされます。

一方、『古事記』では、「神の言葉を疑ったため、神の怒りに触れに命を落とした」と語られます。

仲哀天皇の神話・伝承

ここでは、仲哀天皇が神のお告げを疑い、筑紫で亡くなる伝承を紹介します。

朝廷に従わない九州南部の勢力「熊襲(クマソ)」を討つために筑紫の橿日宮に着いた仲哀天皇は、戦の前に神の言葉を聞く神事を行います。

神事により神からお告げがありましたが、橿日宮ではなく、海の向こうにある豊かな国へ向かうよう告げられます。しかしその国は遠く見えません。

仲哀天皇は「その国は本当に存在するのか」と神の言葉を疑ったため、神の逆鱗に触れ、その場で命を落としたと伝えられています。

神のお告げを疑った仲哀天皇の物語

「熊襲を討つ」

仲哀天皇は、そのために筑紫まで来ていました。

熊襲(クマソ)は、南の地で朝廷に従わずにいた勢力。そのようなことは見過ごせるものではありません。

兵は集められ、戦の準備は整っていました。あとは、明日に天皇からの号令を待つだけ。

そして戦前日の夜、橿日宮(カシヒノミヤ)で神事が行われました。

仲哀天皇は琴を前に座り、神を迎えます。そばには、神功皇后(ジングウコウゴウ)が控えていました。神功皇后は、神の言葉を受ける役目を担っていたのです。

神事の最中、神功皇后に神が降り、そして低い声で告げます。

「西の海の向こうに、金銀をはじめ、多くの宝を持つ国がある。そこへ向かえ」

仲哀天皇は驚き立ち上がりました。

「海の向こうだと? 兵を集めた。筑紫まで来た。それなのに、見たこともない国へ向かえと言うのか……」

仲哀天皇は納得できない様子で、高い所へ登り、神が示した海の方を見ます。

風が吹き、水平線は遠くかすんでいます。そこに国など見えません。金銀に満ちた土地も、宝を積んだ船も、何一つ見えません。

「何も見えん。国などない」

仲哀天皇は神事の場へ戻り、言い放ちました。

「そのような国は見えぬ! まさか、偽りを言う神ではあるまいな!」

その瞬間、臣下たちの息が止まりました。それもそのはず、神の言葉を疑ったのです。

~~~~

神は、その言葉を聞いてもなお、再び告げました。

「西の海の向こうにある国。そこへ向かえ」

しかし、仲哀天皇は引きませんでした。

「神よ。あなたが示した国は見えぬ。見えぬものを、どう信じろと…いう…」

次の瞬間、仲哀天皇はその場に崩れ落ちました。

「陛下!」

臣下たちが駆け寄ります。しかし、もう遅かったのです。

熊襲を討つはずだった天皇は、戦場へ出る前に、橿日宮で命を落としました。

~~~~

夜が明けても、橿日宮の空気は重いままでした。

しかしその中で、神功皇后だけが力強く前を見ていました。

神功皇后の身には今すぐにでも産まれそうな子がいました。しかし、チュウアイが疑った神の言葉も消えていません。

「西の海の向こうへ向かえ……宝に満ちた国を求めよ……か。我が子よ。もう少しだけ、ここにいてくださいね」

そして神功皇后の物語が始まっていくのです。

⇒応神天皇の神話・伝承 | 胎中天皇とも呼ばれる元になった話はこちら

仲哀天皇の御神格・ご利益・ご神徳

仲哀天皇の御神格・ご利益・ご神徳についてご紹介します。

御神格について

第14代天皇、国家安寧の神、世界平和の神、家運隆昌の神、武運長久の神、無病息災の神、延命長寿の神

仲哀天皇の御神格は、天皇として国を守る面と、戦に向かった天皇としての面があります。

香椎宮では、第14代天皇として祀られるため、国家安寧や世界平和の神徳があります。また、熊襲を討つために西へ向かった伝承から「武運長久」。つまり戦いや勝負に向かう人を守る神としての面もあります。

その他、神社によっては無病息災や延命長寿の神徳も伝えられています。

ご利益・ご神徳について

国家安寧、世界平和、家運隆昌、武運長久、無病息災、延命長寿、勝運、厄除け

仲哀天皇のご利益としては、国や家の安泰、武運・勝負、健康長寿に関するものが中心です。

国家安寧や世界平和は、天皇として国を治める神格に由来します。家運隆昌は、家や一族の繁栄を願うご利益として。勝運や武運長久は、チュウアイが熊襲平定に向かった伝承と結びつき、戦いや勝負ごとの守護として信仰されたものです。

仲哀天皇の家系図 | 父はヤマトタケル、妻は神功皇后、子は応神天皇と家族で有名

仲哀天皇は、日本でも有名な神様、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の子として伝えられます。

妻も日本では有名な神功皇后。その間に生まれた誉田別皇子(ホンダワケノミコ)は、のちの応神天皇と、家族に有名な名が多く見られます。

スクロールできます
関係名称
親神母:両道入姫命(フタジノイリヒメノミコト)、父:日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
神功皇后(ジングウコウゴウ)/気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)
誉田別皇子(ホンダワケノミコ/応神天皇)、麛坂皇子(カゴサカノミコ)、忍熊皇子(オシクマノミコ)、誉屋別皇子(ホムヤワケノミコ)
兄弟不明

仲哀天皇ゆかりの神社・祀られている神社

仲哀天皇を祀る神社では、本人の神霊を祀る香椎宮が有名です。忌宮神社は西征伝承、氣比神宮は合祀神としての信仰に関わる神社とされています。

スクロールできます
神社名住所
香椎宮福岡県福岡市東区香椎4-16-1
忌宮神社山口県下関市長府宮の内町1-18
氣比神宮福井県敦賀市曙町11-68

神社ごとの雰囲気や属性も見ながら参拝先を選びたい方は、神社属性一覧も参考になります。

また、自分に合う神社を知りたい方は、神社属性診断でご自身の属性を見てみるのもおすすめです。

神社属性(繭気属性)自動診断ツールはこちら

香椎宮(神社属性:風)

香椎宮(カシイグウ)は、福岡県福岡市東区香椎に鎮座する神社です。

仲哀天皇と妻の神功皇后を主神として祀っています。仲哀天皇が筑紫で亡くなった伝承と関わりが深く、仲哀天皇ゆかりの代表的な神社です。

香椎宮では、国家安寧、世界平和、家運隆昌の神として信仰されています。

⇒【神社属性:風】香椎宮についてはこちら

忌宮神社

忌宮神社(イミノミヤジンジャ)は、山口県下関市長府宮の内町に鎮座する神社です。

仲哀天皇・妻の神功皇后・子の応神天皇を祀っています。仲哀天皇が熊襲平定のため西へ向かった伝承と関わる神社です。

忌宮神社では、三柱の神を文武の神、勝運の神として信仰しています。

忌宮神社についてはこちら

氣比神宮(神社属性:風)

氣比神宮(ケヒジングウ)は、福井県敦賀市に鎮座する神社です。

主祭神は伊奢沙別命(イザサワケノミコト)ですが、仲哀天皇も御祭神として祀られています。

氣比神宮での仲哀天皇は、無病息災、延命長寿、武運長久の神徳をもつ神として伝えられています。

⇒【神社属性:風】氣比神宮についてはこちら

スポンサーリンク
目次