神功皇后は、『古事記』『日本書紀』に登場する仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母として伝えられる人物です。後世には神として祀られ、安産・子育て・母子守護などの信仰を集めてきました。
神の言葉を受けて海を渡ったという大きな伝承があり、実在した人物なのか、卑弥呼と関係があるのかという説でも知られています。また、日本で初めて人物の肖像を使った紙幣にも神功皇后が描かれました。
神功皇后は何の神様?どんな人?
神功皇后は、仲哀天皇の皇后で、第15代天皇とされる応神天皇の母です。『古事記』『日本書紀』では、神から言葉を受け、大きな役目を果たした女性として描かれています。
後世には、応神天皇の母として神に祀られるようになりました。応神天皇が八幡神として広く信仰されると、その母である神功皇后も各地の八幡宮で祀られるようになります。
応神天皇を身ごもり、帰国後に出産したという伝承から、安産・子授け・子育て・母子守護の神として信仰されてきました。海を渡って目的を果たした伝承から、宮地嶽神社などでは勝運・開運の神としても信仰されています。
神功皇后は実在した?
神功皇后が本当に実在した人物なのかは、現在もはっきりしていません。
神功皇后について詳しく書かれているのは、8世紀に成立した『古事記』『日本書紀』です。しかし、そこに書かれた神功皇后の活動を、同じ時代の別の史料から確認することはできません。
新羅へ渡ったという話などには、伝承として語られてきた内容も多く含まれています。そのため、一人の実在人物がもとになったとする考え方もあれば、いくつかの人物や伝承が重なって神功皇后という人物像が作られたとする考え方もあります。
神功皇后と卑弥呼は同一人物?
神功皇后には、邪馬台国の女王・卑弥呼と同一人物だったのではないかという説があります。ただし、二人が同一人物だったことを示す証拠は確認されていません。
この説が生まれた大きな理由は、『日本書紀』の神功皇后について書かれた部分にあります。そこには、中国の史書に書かれた倭国の記事が引用されており、魏へ使者を送った倭の女王についての記録も登場します。
中国の史書で、この時代の倭の女王として知られているのが卑弥呼です。そのため、『日本書紀』を作った人々が、神功皇后の時代と卑弥呼の時代を重ねて考えていたのではないかと見られています。
ただし、『日本書紀』の中で両者が重ねられていることと、実際に同じ人物だったことは別です。現在も、神功皇后と卑弥呼が同一人物だったとは確認されていません。
神功皇后は日本初の肖像入り紙幣にもなった
1881年に発行された改造紙幣一円券には、神功皇后の肖像が描かれました。一般に「神功皇后札」と呼ばれ、日本で初めて人物の肖像を使った紙幣とされています。
この紙幣は、日本銀行が発行した現在の日本銀行券ではなく、明治政府が発行した政府紙幣です。日本銀行券で初めて女性の肖像に選ばれたのは樋口一葉ですが、それより100年以上前に神功皇后が紙幣に描かれていました。
ただし、紙幣に描かれた顔が神功皇后本人の顔というわけではありません。実際の姿を伝える肖像は残っておらず、イタリア人彫刻家のエドアルド・キヨッソーネが日本人をモデルにして肖像を作りました。
神功皇后の別名
神功皇后には、『古事記』『日本書紀』や現在の神社で使われるいくつかの名前があります。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 『古事記』 | 息長帯比売命 |
| 『日本書紀』 | 気長足姫尊 |
| 神社で使われる表記 | 息長足比売命 |
| 信仰上の呼称 | 聖母大明神 |
「神功皇后」という名前は、後世に使われるようになった呼び名です。「聖母大明神」は、応神天皇の母として神功皇后を祀る信仰の中で使われてきました。
神功皇后の御神格・ご利益・ご神徳
神功皇后は、応神天皇の母として安産や子育て、母子守護の信仰を集めています。渡海の伝承から勝運・開運とも結びつき、香椎宮では外交・芸能上達・土木治水などの御神徳も伝えられています。
神功皇后の御神格
| 御神格 | 母神・聖母、安産・育児を守る神、勝運・開運の神 |
|---|
神功皇后は、応神天皇の母であることから、母神・聖母として祀られてきました。応神天皇が八幡神として広く信仰されるようになると、神功皇后も八幡信仰の中で各地に祀られるようになります。
応神天皇を身ごもったまま海を渡り、帰国後に出産したという伝承から、安産や育児を守る神としても信仰されました。宮地嶽神社では、渡海前の祈願と帰還の伝承から、勝運・開運の神として信仰されています。
神功皇后のご利益
| ご利益 | 安産、子授け、子育て・育児、教育、勝運・開運 |
|---|
安産・子授け・子育ての信仰は、応神天皇の妊娠と出産にまつわる伝承から生まれています。福岡県の宇美八幡宮には応神天皇が生まれたという伝承が残り、現在も安産や育児の信仰で知られています。
宇佐神宮では安産や教育、宮地嶽神社では神功皇后の渡海伝承から勝運・開運の信仰が伝えられています。
神功皇后のご神徳
| ご神徳 | 母子守護、安産育児、勝運・開運、外交、芸能上達、土木治水 |
|---|
母子守護・安産育児は、応神天皇を身ごもり出産した伝承と結びついています。香椎宮では、子授け・安産育児のほか、外交・芸能上達・土木治水なども神功皇后の御神徳として伝えられています。
神功皇后の家系図・関係する神々
神功皇后は息長宿禰王を父に持ち、仲哀天皇の皇后となりました。子として最もよく知られているのが、後の応神天皇です。
| 関係 | 人物・神 |
|---|---|
| 父 | 息長宿禰王 |
| 母 | 葛城高額媛 ※資料によって表記差あり |
| 配偶者 | 仲哀天皇 |
| 子 | 応神天皇 |
| 『古事記』に記される子 | 品夜和気命 |
子については、『古事記』と『日本書紀』で書かれ方が異なります。『古事記』では、品夜和気命と品陀和気命、後の応神天皇が神功皇后の子として記されています。『日本書紀』では、神功皇后の子として応神天皇が記されています。
神功皇后と住吉三神の関係
住吉三神は、神功皇后が海を渡る伝承に深く関わる神々です。『古事記』では、仲哀天皇の死後に神意を問うと、神功皇后の胎内の子が国を治めると告げられ、この神託を下した神々として住吉三神が名乗ります。
神功皇后は、その神託を受けて海を渡ります。現在の住吉大社でも、第一から第三本宮に住吉三神、第四本宮に神功皇后が祀られています。
神功皇后の神話・伝承
神功皇后の代表的な伝承では、神の言葉を信じなかった仲哀天皇の死、住吉三神からの神託、海を越えた遠征、そして応神天皇の出産までが語られています。
神託を拒んだ夫の死――神功皇后、海を渡る
※この物語は『古事記』に記された伝承をもとに、心理・会話・情景などを補いながら意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
琴の低い音が、暗い宮の中に響いていた。筑紫の訶志比宮で、仲哀天皇が琴を弾き、建内宿禰は目を閉じて神の言葉を待っている。そのそばに座る神功皇后の指先が、ふいに小さく震えた。
「西の方に国がある。金銀をはじめ、多くの宝に満ちた国だ。その国を、お前に授けよう」――声を出しているのは神功皇后だったが、夫へ話すいつもの声とはまるで違っていた。仲哀天皇は眉を寄せると立ち上がり、西の方角へ目を凝らした。
見えるのは、どこまでも続く海だけだった。宝の国どころか、その姿さえ見えない。「国などない。海しか見えぬではないか」と仲哀天皇は神の言葉を退けた。
その瞬間、宮の空気が冷えたように感じられた。神功皇后の身体が再び震え、「その国を欲しないのなら、お前には与えぬ。この国を治めるのも、お前ではない。皇后の腹にいる子が、この国を治める」と神の声が告げる。だが仲哀天皇は、なおも神託を信じようとはしなかった。
仲哀天皇は琴を持ち直し、何事もなかったように弦を鳴らし始めた。暗い宮に音が響き、そして突然、ぷつりと途切れた。建内宿禰が「陛下」と呼びかけても、返事はなかった。
火を近づけると、仲哀天皇はもう動かなかった。ほんの少し前まで琴を弾いていた夫の手は止まり、何度名を呼んでも目を開けない。神功皇后は声を失いながら、自分の腹にまだ生まれていない子がいることを強く感じた。
悲しみに沈む時間は、ほとんど残されていなかった。神は、その腹の子が国を治めると告げている。建内宿禰らは大祓を行い、神功皇后を通してもう一度、神の言葉を求めた。
再び神が降りると、答えは変わらなかった。国を治めるのは神功皇后の胎内にいる子であり、神託を下していたのは住吉三神だと明かされた。そして神功皇后には、仲哀天皇が拒んだ海の向こうへ進むよう命が下った。
神功皇后はそっと腹に手を当てた。夫を失ったばかりで、身体の中にはまだ顔さえ見たことのない子がいる。それでも皇后は神の言葉を受け、海へ出る道を選んだ。
船が岸を離れると、足元から大地の感触が消えた。潮を含んだ風が髪を乱し、波が船を持ち上げては落とす。神功皇后は腹の子を抱えたまま、海の向こうへ進んでいった。
やがて船は新羅へ着く。『古事記』では、新羅は神功皇后に従ったと語られる。目的を果たした皇后は、再び船に乗り、筑紫へ戻ろうとした。
だが、そのころには腹の子が生まれようとしていた。身体の奥から迫る痛みに、神功皇后は思わず腹を押さえる。「まだだ……まだ、ここでは産めない」と歯を食いしばった。
神功皇后は出産を遅らせるため、石を腰につけたと伝えられる。波が来るたびに身体が揺れ、そのたび腹へ痛みが走った。それでも皇后は耐え続け、ついに筑紫の地へ戻った。
長い旅の末、神功皇后は一人の男の子を産んだ。その子が品陀和気命、後の応神天皇だった。夫の死から始まった旅は、ようやく新しい命の誕生によって終わった。
応神天皇が生まれた土地は、子を「産み」落としたことから「宇美」と呼ばれるようになったという伝承が残る。神功皇后が腹に抱えて海を越えた子は、やがて第15代天皇として伝えられる存在となった。夫の死から出産までを生き抜いた神功皇后の物語は、その後も長く語り継がれていく。
『古事記』の原文は、国立国会図書館デジタルコレクションで確認できます。
⇒【国立国会図書館デジタルコレクション】『古事記』はこちら神功皇后ゆかりの地
神功皇后の伝承は、現在の福岡県を中心に各地へ残されています。『古事記』に登場する場所だけでなく、神功皇后が出産した地、海を渡る前に祈ったと伝わる場所など、現在も伝承と結びついた土地があります。
宇美|応神天皇を出産したと伝わる地
福岡県糟屋郡宇美町は、神功皇后が応神天皇を出産したと伝わる場所です。『古事記』では、神功皇后が筑紫へ戻った後に御子を産んだことから、その土地を「宇美」と呼ぶようになったと記されています。
現在の宇美町には宇美八幡宮があり、神功皇后と応神天皇が祀られています。境内には出産にまつわる伝承が残り、現在も安産や子育てを願う人々の信仰を集めています。
香椎|仲哀天皇と過ごした地
現在の福岡市東区香椎周辺は、『古事記』に登場する「訶志比宮」と結びつく土地です。仲哀天皇と神功皇后が筑紫に滞在し、神託を受けた伝承の舞台として語られています。
神託を信じなかった仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は再び神の言葉を求め、海の向こうへ進むことになります。現在この地には香椎宮があり、仲哀天皇と神功皇后が主祭神として祀られています。
宮地嶽|海を渡る前に祈ったと伝わる地
福岡県福津市の宮地嶽には、神功皇后が海を渡る前に山へ登り、祈りを捧げたという伝承があります。宮地嶽神社では、神功皇后が宮地嶽山頂から海を望み、渡海の成功を願ったと伝えています。
神功皇后はその後、海を渡って目的を果たし、無事に帰ったと伝えられています。この伝承から、宮地嶽神社では現在も神功皇后が主祭神として祀られ、開運や勝運の信仰につながっています。
神功皇后祀られている神社
神功皇后の伝承は、福岡を中心とする九州北部や大阪など各地に残されています。応神天皇が八幡神として全国へ祀られるようになると、神功皇后も各地の八幡宮で祀られるようになりました。
香椎宮
香椎宮は、福岡県福岡市にある神社です。仲哀天皇と神功皇后を主祭神として祀り、古くは「香椎廟」と呼ばれていました。
仲哀天皇が筑紫で亡くなった後、その神霊を祀ったことを起源とする伝承があります。神功皇后は「聖母大明神」とも呼ばれ、子授け・安産育児のほか、外交・芸能上達・土木治水などの御神徳が伝えられています。
住吉大社
住吉大社は、大阪府大阪市にある住吉神社の総本社です。第一本宮から第三本宮には住吉三神、第四本宮には神功皇后が祀られています。
住吉三神は、神功皇后に海の向こうへ進むよう神託を下した神々として伝承に登場します。神功皇后と住吉三神の関係は、現在の住吉大社にも受け継がれています。
宇佐神宮
宇佐神宮は、大分県宇佐市にある八幡信仰の中心となる神社です。第一殿に八幡大神、第二殿に比売大神、第三殿に神功皇后が祀られています。
神功皇后は、八幡大神として祀られる応神天皇の母です。母神として、安産や子どもの成長、教育に関わる信仰が伝えられています。
神功皇后が祀られている主な神社
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 大崎八幡宮 | 宮城県仙台市 |
| 穴八幡宮 | 東京都新宿区 |
| 鶴岡八幡宮 | 神奈川県鎌倉市 |
| 大宝八幡宮 | 茨城県下妻市 |
| 大宮八幡宮 | 東京都杉並区 |
