賀茂別雷神は、京都の上賀茂神社に祀られる、雷の力と深く結びついた神様です。厄除け・方除け・雷除け・災難除け・必勝などの神として信仰されています。
神話では、母の賀茂玉依比売命が川から流れてきた丹塗矢を持ち帰ったことから生まれます。成長した賀茂別雷神は雷鳴とともに天へ昇り、その後、神として神山へ降臨したと伝えられています。
賀茂別雷神とはどのような神なのか、父神の正体、ニギハヤヒとの関係、神武天皇とのつながり、上賀茂神社に伝わる神話まで紹介します。
賀茂別雷神は何の神様?
賀茂別雷神は、雷の力と深く結びつき、災いを祓い、人々を守る神として信仰されている神様です。京都の賀茂一族に伝わる御子神で、賀茂別雷神社、通称「上賀茂神社」の御祭神として祀られています。
賀茂別雷神の神話では、雷が誕生から神として現れるまでの随所に登場します。母の賀茂玉依比売命のもとへ流れてきた丹塗矢によって御子が生まれ、成長した御子は雷鳴を轟かせながら天へ昇ります。
その後、賀茂別雷神は母の夢に現れ、自分を迎えるための祭りを行うよう告げました。神託に従って祭りが行われると、成人した神の姿で神山へ降臨したと伝えられています。
賀茂別雷神への信仰は、京都の歴史とも深く結びついています。上賀茂神社では677年に賀茂神宮が造営されたと伝えられ、平安京遷都後は皇城鎮護の神として朝廷から厚い崇敬を受けました。
807年には神階の最高位である正一位が授けられ、810年には賀茂社に仕える賀茂斎王の制度も始まりました。賀茂別雷神は、古くから京都と朝廷を守る神として大切に祀られてきた神様です。
現在の上賀茂神社では、厄除・方除・開運・八方除・雷除・災難除・必勝・電気産業守護などの御神徳が案内されています。
賀茂別雷神の別名・読み方
「賀茂別雷神」は「かもわけいかづちのかみ」と読みます。「神」「命」「大神」など、資料や神社によって表記が変わります。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 主な表記 | 賀茂別雷神、 賀茂別雷命、 賀茂別雷大神、 別雷神 |
| 信仰上の呼称 | 上賀茂大神 |
| 『延喜式』 | 賀茂別雷神、 若雷 |
京都の上賀茂神社では、現在の御祭神を賀茂別雷大神と表記しています。
平安時代にまとめられた『延喜式』神名帳には「賀茂別雷神社 亦若雷」とあり、若雷という名も残されています。
賀茂別雷神の御神格・ご利益・ご神徳
賀茂別雷神は、雷の神威によって災いを祓う神として信仰されています。平安京遷都後には都を守る神としても崇敬され、方除けや厄除けの信仰が現在まで続いています。
賀茂別雷神の御神格
| 御神格 | 雷の力と結びつく神、天空を守る神、皇城鎮護の神、方除けの守護神 |
|---|
賀茂別雷神の神話では、丹塗矢、天への昇天、雷鳴という形で雷の力が繰り返し現れます。現在の上賀茂神社でも雷除けが代表的な信仰として受け継がれています。
平安京遷都後には皇城鎮護の神として歴代天皇から崇敬されました。京都の北に鎮座する上賀茂神社は、都や人々を災いから守る神社として大きな信仰を集めました。
賀茂別雷神のご利益
| ご利益 | 厄除、方除、八方除、開運、雷除、災難除、必勝 |
|---|
特に知られているのが、厄除け・方除け・雷除けです。
方除けは、地相・家相・方位や年回りなどから受ける災いを祓う祈りです。上賀茂神社では現在も方除けや八方除けの祈願が行われています。
雷除けの信仰も賀茂別雷神を特徴づけています。雷と深く結びつく神の力によって、雷や災難から守ってもらう信仰へつながっています。
必勝の神としても信仰され、上賀茂神社では勝守や必勝絵馬が授与されています。
賀茂別雷神のご神徳
| ご神徳 | 災厄を祓う、方角の災いを防ぐ、天空を守る、電気産業守護 |
|---|
現代では、雷と電気のつながりから電気産業守護の神としても信仰されています。
上賀茂神社には航空安全守もあり、「雷を別け、天空を守護する」という御神徳から、飛行機での移動の安全を祈る信仰にもつながっています。
古代から伝わる雷の神威が、現代では電気や航空に関わる守護へも広がっています。
賀茂別雷神の家系図・関係する神々
賀茂別雷神は、賀茂一族の姫である賀茂玉依比売命から生まれた御子神です。母方の祖父は賀茂建角身命で、賀茂氏の伝承に深く関わる神として登場します。
父については、『山城国風土記』逸文に丹塗矢の正体が記されています。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 父神 | 火雷神。丹塗矢となって現れた神として『山城国風土記』逸文に伝わる |
| 母神 | 賀茂玉依比売命 |
| 母方の祖父 | 賀茂建角身命 |
| 母方の祖母 | 神伊可古夜日女 |
| 母方の叔父 | 玉依日子 |
賀茂建角身命と神伊可古夜日女の間に玉依日子と賀茂玉依比売命が生まれ、賀茂玉依比売命から賀茂別雷神が生まれたと伝えられています。
賀茂建角身命は賀茂別雷神の祖父
賀茂建角身命は、賀茂別雷神の母・賀茂玉依比売命の父です。
賀茂別雷神が成人したときには、賀茂建角身命が八尋殿を造り、多くの神々を集めて七日七夜の宴を開きました。この宴で賀茂別雷神に父が誰なのかを尋ねたことから、御子神が天へ昇る場面へつながります。
賀茂建角身命は京都の下鴨神社に賀茂玉依比売命とともに祀られています。また、八咫烏となって神武天皇を導いた神とする伝承でも知られています。
賀茂別雷神の正体は?父神とニギハヤヒ説
賀茂別雷神の「正体」を調べると、父神の正体と、ほかの神との同一神説がよく話題になります。
賀茂氏に伝わる中心的な神話では、賀茂別雷神は賀茂玉依比売命から生まれた御子神です。父にあたる神は丹塗矢となって現れ、その正体を火雷神とする伝承が残されています。
一方、後世には賀茂別雷神を 饒速日命 などと結びつける説も現れました。
賀茂別雷神の父は誰?丹塗矢と火雷神
賀茂玉依比売命が石川の瀬見の小川で身を清めていたとき、川上から一本の丹塗矢が流れてきました。
賀茂玉依比売命は丹塗矢を持ち帰り、大切に祀ります。やがて矢に宿る力によって身ごもり、男の子を産みました。この御子が賀茂別雷神です。
『山城国風土記』逸文では、丹塗矢について「乙訓の郡の社に坐せる火雷神」と伝えています。
この伝承では、丹塗矢となって賀茂玉依比売命のもとへ現れた火雷神が、賀茂別雷神の父神にあたります。
賀茂別雷神と饒速日命は同一神?
賀茂別雷神と饒速日命を、同じ神とする説はあります。
『神社覈録』という江戸時代末期から明治初期にまとめられた書物には、賀茂別雷神を 瓊瓊杵尊 、または饒速日命とする説が紹介されています。
一方、賀茂氏に伝わる神話では、賀茂別雷神は、賀茂玉依比売命が丹塗矢の力によって身ごもり、生まれた御子神として語られています。
そのため、賀茂別雷神と饒速日命を同じ神とする説はありますが、賀茂氏に伝わる神話とは別に生まれた説です。
賀茂別雷神と神武天皇の関係は?
賀茂別雷神と 神武天皇 の関係には、賀茂別雷神の祖父・賀茂建角身命が深く関わっています。
下鴨神社では、賀茂建角身命を八咫烏となって神武天皇を導いた神として伝えています。神武天皇が大和へ向かう際、道を示して導いたという伝承です。
そのため、「賀茂別雷命 神武天皇」で調べたときに登場する八咫烏の話は、賀茂別雷神の外祖父である賀茂建角身命の伝承です。
賀茂別雷神本人にも、神武天皇の時代と結びつく社伝があります。上賀茂神社の社史には「神武天皇の御代、神山に御降臨・御鎮座」と記されています。
神武天皇を導く神として語られる賀茂建角身命と、神武天皇の御代に神山へ降臨したと伝わる賀茂別雷神。この二つの伝承が、賀茂の神々と神武天皇を結んでいます。
賀茂別雷神の神話・伝承
賀茂別雷神の代表的な神話は、川を流れてきた一本の丹塗矢から御子が生まれ、成長した御子が雷鳴とともに天へ昇り、やがて神となって神山へ降臨する物語です。
母の賀茂玉依比売命と御子の突然の別れ、再会を願う母への神託、神を迎える祭りまでが一つの物語として伝えられています。
丹塗矢から生まれ、雷鳴とともに天へ昇った御子神
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
山背国、石川の瀬見の小川。冷たい水が岩の間を走り、木々の葉を揺らす風の音が川音に混じっていた。賀茂玉依比売命は、その流れの中に身を置いて静かに身を清めていた。
ふと、川上から赤いものが流れてきた。水に沈むこともなく、流れに乗ってこちらへ近づいてくる。それは鮮やかな丹色に塗られた、一本の矢だった。
賀茂玉依比売命は手を伸ばし、その矢を拾い上げた。誰が放った矢なのか、なぜ川を流れてきたのかは分からない。ただの矢とは思えない何かを感じたのか、彼女は捨てずに家へ持ち帰った。
家に戻った賀茂玉依比売命は、その丹塗矢を粗末に扱わず、床の辺りに置いて大切に祀った。やがて、その矢に宿る不思議な力によって彼女は身ごもる。ほどなくして、一人の男の子が生まれた。
父となる男が家にいたわけではない。川を流れてきた丹塗矢から始まった、不思議な懐妊だった。それでも生まれた子は母のもとで育ち、人々から御子神と呼ばれるようになった。
幼かった御子は成長し、やがて元服を迎える年頃になった。祖父であり賀茂一族の長でもある賀茂建角身命は、孫の成人を祝うために大きな八尋殿を造った。そこへ多くの神々を招き、酒を用意し、七日七夜にわたる盛大な祝宴を開いた。
八尋殿には笑い声が響き、酒が次々と酌み交わされていた。御子神にとって、自分の成長を祝う華やかな宴だった。だが、その宴の最中、賀茂建角身命は一つの盃を手にして孫を呼んだ。
そして、酒を満たした盃を御子神へ差し出した。
「この酒を、お前が父だと思う神に飲ませなさい」
御子神は黙って盃を受け取った。周囲には大勢の神々が並んでいる。だが、御子神は誰か一柱の前へ歩み寄ることも、迷いながら神々の顔を見比べることもしなかった。
父を知らずに育った御子神が、ようやく自分の父を示す瞬間だった。御子神は盃を握ったまま、ゆっくりと顔を上げる。その視線は宴の席を越え、八尋殿の屋根を越え、その先にある天へ向けられていた。
「我が父は天津神なり」
次の瞬間、御子神は手にした盃を天へ向かって投げ上げた。
轟音が走った。
耳を打つ雷鳴が八尋殿を震わせる。御子神の身体は地を離れ、そのまま屋根へ向かって駆け上がった。甍を突き破り、砕けた屋根の向こうへ飛び出した御子神は、雷の音とともに天高く昇っていった。
あまりにも突然だった。先ほどまでそこにいた息子が、目の前から消えた。祝宴のために満ちていたにぎやかな空気だけが、御子神のいなくなった八尋殿に取り残された。
賀茂玉依比売命は、破れた屋根の向こうを見上げた。あの川辺で丹塗矢を拾い、自分の腹に宿し、生まれてからずっと育ててきた子だった。その子が成人を迎えた日に、雷鳴とともに天へ去ってしまった。
賀茂建角身命も、賀茂玉依比売命も、もう一度御子に会いたいと願った。だが、どれほど天を仰いでも御子は帰ってこない。母は息子との再会を願い続けた。
そんなある夜、眠りについた賀茂玉依比売命の夢の中に、御子が現れた。
もう一度会いたい――その願いに答えるように、御子は母へ自分を迎える方法を告げた。天羽衣と天羽裳を作り、火を焚き、鉾を立て、走る馬を飾る。さらに奥山から榊を取り、阿礼を立て、さまざまな色で飾り、葵と楓の蔓を用意して、自分を迎える祭りを行うようにという神託だった。
夢から覚めても、賀茂玉依比売命には御子の言葉がはっきりと残っていた。もう一度会える。その言葉を信じ、人々は御子が告げた通りに神を迎える準備を始めた。
火が焚かれた。鉾が掲げられ、馬が飾られ、奥山から採った榊が立てられる。葵と楓の蔓が用意され、御子を迎えるための祭りの場が整っていった。
あとは、待つだけだった。
賀茂玉依比売命が待っていたのは、かつて自分のもとから天へ消えた息子だった。だが、再び姿を現した御子は、もう母のもとで育った少年の姿ではなかった。
天から神山へ、一柱の神が降り立った。
成長した御子は、神として帰ってきた。
その神こそ、賀茂別雷大神だった。
川を流れてきた一本の丹塗矢から生まれ、父を問われた日に雷鳴とともに天へ昇った御子。そして、再会を願う母へ祭りの方法を告げ、今度は神として神山へ降臨した。
賀茂玉依比売命たちが御子を迎えるために行った祭りは、上賀茂神社の祭祀の始まりとして伝えられている。賀茂別雷神が降臨したとされる神山は、現在も上賀茂神社の北にそびえている。
賀茂別雷神ゆかりの神社・祀られている神社
賀茂別雷神の信仰の中心は京都の賀茂別雷神社です。賀茂信仰は各地にも広がり、賀茂別雷神や別雷神を祀る神社が現在も残っています。
京都から御分霊を迎えた神社や、雷除け・五穀豊穣などの信仰を伝える神社では、賀茂別雷神の信仰が地域ごとの形で受け継がれています。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)|京都府京都市
京都市北区に鎮座する賀茂別雷神社は、賀茂別雷大神を御祭神とする信仰の中心です。「上賀茂神社」「上社」の名でも親しまれています。
本殿の北北西約2kmには神山があり、山頂の大きな磐座が賀茂別雷大神の降臨した場所と伝えられています。本殿も神山を遥拝する形で建てられています。
境内の細殿前にある二つの立砂も神山をかたどったものです。賀茂別雷神の降臨伝承が、現在の境内の景観にも残されています。
賀茂祭は「葵祭」として知られ、下鴨神社とともに行われます。上賀茂神社では、賀茂別雷神が神山へ降臨した際に神託によって行われた祭りを、祭祀の始まりとして伝えています。
賀茂別雷神社|栃木県佐野市
栃木県佐野市多田町に鎮座する賀茂別雷神社は、賀茂別雷命を主祭神として祀っています。
神社では669年に菊沢山の中腹へ社殿を建てたことを創建と伝えています。古くから山の神・農業の神として祀られ、落雷除け・嵐除け・五穀成就などの信仰を集めてきました。
現在も地元では「雷電様」と呼ばれています。主祭神の賀茂別雷命のほか、賀茂建角身命や玉依姫命も祀られており、賀茂の神々をまとめて祀る神社でもあります。
かつて社殿があった菊澤山には現在も奥宮があり、賀茂別雷命が祀られています。
青海神社|新潟県加茂市
新潟県加茂市の青海神社では、青海神社・賀茂神社・賀茂御祖神社の三社が一つの本殿に祀られています。
このうち賀茂神社の御祭神が賀茂別雷命です。賀茂御祖神社には、賀茂別雷命の母・玉依媛命と祖父・賀茂建角身命が祀られています。
青海神社では、平安京遷都の際にこの地域が京都の賀茂別雷神社・賀茂御祖神社の神領となり、その御分霊を当地に祀ったと伝えています。
現在も賀茂別雷命と母神・祖父神が一緒に祀られ、賀茂一族の神話が信仰の中に残っています。毎年5月21日の加茂まつりでは、玉依媛命の信仰にちなみ、乳児を背負った母親たちが参加する乳母行列も行われます。
賀茂別雷神が祀られている主な神社
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 金村別雷神社 | 茨城県つくば市 |
| 鴻神社(雷電社) | 埼玉県鴻巣市 |
茨城県つくば市の金村別雷神社は、地元で「雷神さま」と呼ばれる神社です。関東三雷神の一つに数えられ、落雷除けなどの信仰を集めています。
埼玉県鴻巣市の鴻神社では、境内の雷電社に賀茂別雷命が祀られています。神社公式では祭神を「ワケイカヅチノミコト」と案内し、雷除け・鬼門除け・方位除け・災難除けの信仰を伝えています。
参考・原典
賀茂別雷神の誕生、賀茂玉依比売命、賀茂建角身命、丹塗矢、火雷神の伝承は、『山城国風土記』逸文に伝えられています。
神山への降臨や、母の夢に現れて神迎えの祭りを告げる伝承は、上賀茂神社が『山城国風土記』逸文と『賀茂旧記』をもとに御神話として紹介しています。
賀茂祭と賀茂別雷命の古い伝承は、『本朝月令』に引用された『秦氏本系帳』にも残されています。
⇒【國學院大學デジタルミュージアム】『本朝月令』賀茂祭事の原文はこちら
賀茂別雷神を瓊瓊杵尊や饒速日命とする後世の説は、『神社覈録』に記録されています。
