賀茂建角身命は、京都を開いた神、進むべき道へ導く神として信仰される賀茂氏の祖神です。八咫烏となって神武天皇を導いたと伝えられ、下鴨神社に祀られています。八咫烏との関係から、玉依媛命との家族関係、各地の神社に伝わるご利益まで紹介します。
賀茂建角身命は何の神様?
賀茂建角身命は、古代の山城、現在の京都に暮らした賀茂氏が祖先として祀った神です。土地を開き、人々の暮らしを守る神として敬われ、神武天皇の東征を助けた「導きの神」としても知られています。
『山城国風土記』の逸文(ほかの書物に引用されて残った文章)には、日向に天降った賀茂建角身命が神武天皇の先導役となり、大和の葛城から山城へ移る伝承が残っています。岡田の賀茂を経て川を下り、賀茂川をさかのぼって山のふもとに住みついたとされ、この地を「賀茂」と呼ぶ由来にもなっています。
この信仰は、794年の平安京への遷都を経て、都と国の平安を守る信仰へ広がりました。賀茂の神々は朝廷から厚く敬われ、皇族の女性が斎王として祭祀に仕えました。現在も京都の守護神として、また人生の節目や旅立ちを見守る神として祈りが寄せられています。
賀茂建角身命の別名と八咫烏との関係
「賀茂建角身命」は「かもたけつぬみのみこと」と読みます。「かもたけつのみのみこと」という読みもあり、文献や神社によって「賀茂」と「鴨」、「命」と「神」などの表記が変わります。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 神名の表記違い | 賀茂建角身神、鴨建角身命、建角身命 |
| 『新撰姓氏録』に見える表記 | 武津之身命、鴨建津之身命 |
八咫烏は、賀茂建角身命の化身と伝えられています。『新撰姓氏録』には、鴨建津之身命が大烏となり、険しい山で道を失った神武天皇を導いたと記されています。その功績から与えられた名が「天八咫烏」です。
『古事記』では高木大神が、『日本書紀』では天照大神が八咫烏を遣わします。下鴨神社や八咫烏神社では、この道案内の鳥を賀茂建角身命として祀っています。
現在よく見かける八咫烏は三本足ですが、記紀には足の本数は書かれていません。三本足の姿には、中国で太陽の中に住むとされた烏の伝承が影響したと考えられています。八咫烏の「八咫」は大きさを表し、神武天皇の行く手を示す大きな烏として登場します。
賀茂建角身命の御神格・ご利益・ご神徳
賀茂建角身命の信仰の中心には、行く先を示す導きの力と、土地や人々の暮らしを守る働きがあります。交通安全や厄除け、勝利を願う祈りのほか、方位除けや仕事の安全にも結びついています。
賀茂建角身命の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 賀茂氏の祖神、京都の開拓・守護の神、導きの神 |
氏族の祖神としての信仰では、息子の玉依日子の子孫が賀茂県主と呼ばれ、賀茂の神々を祀ったと伝えられます。京都の守護神としても敬われ、平安京の造営にあたっては下鴨神社で都づくりの成功が祈られました。
導きの信仰には、地域ならではの広がりもあります。滋賀県近江八幡市の賀茂神社では、賀茂建角身命を競馬の守護神としても祀り、馬に関わる人々の信仰を集めています。馬に代わって自動車が普及した現在は、交通安全を願う祈りにもつながっています。
賀茂建角身命のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 交通・旅行安全、厄除け、必勝、方位除け、開運招福、操業安全、身体健全 |
| ご神徳 | 正しい道へ導く働き、願いの成就を助ける力、土地と暮らしの守護 |
八咫烏神社では、神武天皇を目的地へ導き勝利を助けた伝承から、交通安全・厄除け・必勝が祈られています。「導き」は道中の安全に加え、願いの実現へ進めるよう支える働きとして受け止められています。
岡田鴨神社は、本社のご神徳として方位除け、交通・旅行・操業の安全、身体健全、開運招福などを挙げています。転居や旅、仕事の始まりなど、進む方向と日々の無事を願う場面に関わる信仰です。
賀茂建角身命の家系図・関係する神々
『山城国風土記』の逸文では、賀茂建角身命は丹波国の神である伊可古夜日女を妻とし、玉依日子と玉依日売をもうけます。玉依日売は、下鴨神社に祀られる玉依媛命に当たります。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 妻 | 伊可古夜日女。丹波国の神野の神 |
| 息子 | 玉依日子。子孫が賀茂県主とされる神 |
| 娘 | 玉依媛命。風土記逸文では玉依日売と記される |
| 外孫 | 賀茂別雷命。玉依媛命の子で、上賀茂神社の祭神 |
下鴨神社で父と娘、上賀茂神社でその孫が祀られるため、両社には三世代にわたる神々のつながりがあります。賀茂別雷命の父は、風土記の伝承では赤い矢の姿で現れる火雷神です。賀茂建角身命は、成長した孫を祝う宴を開く外祖父として登場します。
父母や兄弟姉妹の名は、この風土記の賀茂伝説には記されていません。一方、『新撰姓氏録』では神魂命の孫とされます。神魂命は、天地の始まりに現れる神産巣日神の別名です。
「玉依姫」という名は、複数の神に使われます。賀茂の伝承の玉依媛命は賀茂建角身命の娘です。一方、記紀に登場する神武天皇の母・玉依姫命は海神の娘で、別の系譜を持つ女神です。
賀茂建角身命の神話・伝承
娘の玉依日売が川で赤い矢を拾い、やがて生まれた孫は、成長を祝う宴で天へ昇ります。『山城国風土記』の逸文には、孫に父を尋ねる賀茂建角身命の姿が描かれています。
祖父の杯と、屋根の向こうへ昇った孫
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
大きな館に、醸した酒の匂いが満ちていた。神々の笑い声を聞きながら、賀茂建角身命は、広間の向こうにいる孫へ目を向ける。いつの間に、あんなに大きくなったのだろう。
孫の成長を祝うため、八尋屋と呼ばれる広い館を造った。八つの戸を備え、八つの大甕に酒を用意し、神々を招いた宴は七日七夜に及んでいた。その席で孫は、大人の神々と肩を並べている。
孫が生まれる前、娘の玉依日売が拾ってきたのは、一本の赤い矢だった。石川の瀬見の小川で遊んでいたとき、上流から流れてきた矢を拾い、寝床のそばに置いたのだ。その後に娘は身ごもり、男の子を産んだ。
小さな身体を抱き上げたころの重みが、ふと腕によみがえる。目の前の孫は、もう祖父の腕に収まる子ではない。賀茂建角身命はその顔を眺め、今日こそ父のことを聞いてみようと思った。
賀茂建角身命は杯を取り、酒を満たした。招いた神々の顔を見渡してから、孫を手元へ呼ぶ。差し出そうとした杯の中で、酒の表面がかすかに揺れた。
「おまえの父だと思う人に、この酒を飲ませなさい」
孫は静かに杯を受け取った。居並ぶ神々の誰が、その手から酒を受けるのか。賀茂建角身命は口を閉ざし、孫の視線を追った。
ところが孫は、誰の前へも進まなかった。両手で杯を高く掲げ、天へ向けて酒を捧げようとする。その目は頭上の屋根よりも、さらに遠い場所を見つめていた。
祖父が声をかける間もなく、孫の身体が上へと昇った。屋根を突き破る音が響き、神々の笑い声が途切れる。裂けた屋根から光が差し込み、孫はその向こうの天へ昇っていった。
賀茂建角身命は思わず手を伸ばした。つい先ほど杯を渡した相手が、もう指の届く場所にいない。空へ抜けた姿を追うように顔を上げたまま、伸ばした手だけが行き場を失っていた。
孫が父へ酒を捧げるために選んだ先は、天だった。娘が拾った丹塗矢は、乙訓の社に鎮まる火雷神だったのだ。酒の匂いが残る館を風が通り、神々の衣の裾を揺らした。
その御子は祖父の名にちなんで、賀茂別雷命と呼ばれることになった。賀茂建角身命は伸ばした手をゆっくりと下ろし、もう一度空を仰いだ。孫の成長を祝うために建てた館から、今はまぶしいほどの空が見えていた。
賀茂建角身命ゆかりの神社・祀られている神社
賀茂建角身命を祀る神社には、賀茂氏ゆかりの土地に鎮まる社や、八咫烏としての導きを祈る社があります。京都の賀茂社から分霊を迎えた神社もあり、信仰は近畿から北陸、越後などへ広がりました。
下鴨神社|京都府京都市左京区
正式名称は賀茂御祖神社です。西本殿に賀茂建角身命、東本殿に娘の玉依媛命を祀り、賀茂川と高野川の合流点の北に鎮座します。
賀茂の祭りは、698年の『続日本紀』にも記録が残る古い祭礼です。現在は上賀茂神社とともに葵祭を行い、都の平安を祈ってきた信仰を受け継いでいます。葵祭に先立つ5月12日の御蔭祭では、境外摂社の御蔭神社から神霊を迎えます。二つの本殿は国宝で、境内は「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録されています。
岡田鴨神社|京都府木津川市
加茂町に鎮座し、賀茂建角身命を祀る神社です。神が大和の葛城から京都へ移る途中にとどまった「岡田の賀茂」に結びつき、下鴨神社の元宮と伝えられています。
かつての社地が水害を受けたため、天満宮の境内だった現在地へ遷されたという由緒があります。本殿は、春日大社に1786年に建てられた旧第一殿を1808年に移築した「春日移し」の建物です。現在も交通安全や方位除けなどが祈られ、4月3日に例祭を行います。
八咫烏神社|奈良県宇陀市
宇陀市榛原に鎮座し、建角身命を八咫烏大神として祀る神社です。『続日本紀』の705年に八咫烏を祀る記事があり、神社ではこの記録を創祀の由来としています。
神武天皇を導いた功績から、交通安全・厄除け・必勝の神として信仰されています。文政年間には下鴨神社の神職と地元の人々の協力で再興され、京都の賀茂信仰とのつながりも残りました。11月3日の例祭のほか、春の御田祭なども行われています。
賀茂建角身命が祀られている主な神社
次の神社でも賀茂建角身命が祀られています。御蔭神社は賀茂建角身命と玉依姫命の荒御魂を祀る下鴨神社の境外摂社です。青海神社では、賀茂建角身命を祀る賀茂御祖神社など三社の本殿を、一つの覆屋に納めています。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 御蔭神社 | 京都府京都市左京区 |
| 賀茂神社 | 滋賀県近江八幡市 |
| 青海神社 | 新潟県加茂市 |
| 下村加茂神社 | 富山県射水市 |
下村加茂神社は、1066年に下鴨神社の神領である倉垣庄の総社として鎮祭されたと伝えています。青海神社にも、794年に京都の賀茂社の神領となり、分霊を迎えたという由緒があります。神社の領地となった土地に京都の賀茂の神々が祀られ、その祭祀が受け継がれてきました。
