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乳授姫大神(ちちさずけひめのおおかみ)は何の神様?母乳授けのご利益と浦幌の乳神信仰 | 神様図鑑

乳授姫大神チチサズケヒメは、母乳授けや子宝、安産の神様として親しまれています。北海道浦幌町の山中にあった、乳房に似たこぶを持つナラの木への祈りから信仰が生まれました。乳神神社に伝わる祖母の祈りと、御神木を守り継いだ人々の歩みを紹介します。

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目次

乳授姫大神チチサズケヒメは何の神様?

乳授姫大神チチサズケヒメは、母乳を授け、母と子を守る神様です。北海道十勝地方の浦幌町で「乳神様チチガミサマ」と呼ばれ、出産や育児を支える神として信仰されてきました。

信仰が始まったのは、大正時代の中頃です。浦幌町瀬多来の森には乳房のような二つのこぶを持つナラの老木があり、その木を女神の御神木として拝むようになったと伝えられています。母乳授けの願いを託す人が増え、婦人病や眼病の平癒を祈る信仰も広がりました。

この信仰を遠方へ伝えたのが、地元の炭焼き職人たちです。出稼ぎ先で乳神様チチガミサマの話を伝え、近隣の町村から北海道各地、九州へと信仰が広がったといわれています。現在も御神木のこぶを御神体として祀り、母乳授けをはじめ、子宝や安産、縁結びを願う人々が参拝しています。

乳授姫大神チチサズケヒメの別名

「乳授姫大神チチサズケヒメ」は「ちちさずけひめのおおかみ」と読みます。地元で親しまれてきた呼び名のほか、母乳授けの信仰に由来する尊称が伝わっています。

区分別名・表記
親しまれている呼び名乳神様チチガミサマ
信仰上の尊称乳授大神チチサズケオオカミ、乳授大明神チチサズケダイミョウジン
漢字の異表記乳授媛大神チチサズケヒメ

「乳授大神チチサズケオオカミ」は「ちちさずけおおかみ」、「乳授大明神チチサズケダイミョウジン」は「ちちさずけだいみょうじん」と読みます。「乳授媛大神チチサズケヒメ」は「姫」を「媛」と書いた表記で、同じ浦幌の乳神様チチガミサマを指しています。また、「おっぱい神社」は乳神神社の愛称です。

乳授姫大神チチサズケヒメの御神格・ご利益・ご神徳

乳授姫大神チチサズケヒメは、母子を守り、子どもの誕生と健やかな育ちを支える神として敬われています。母乳授けに始まり、子宝や安産、病気平癒など、暮らしのさまざまな願いが寄せられています。

乳授姫大神チチサズケヒメの御神格

項目内容
御神格母乳授けの神、母子の守護神

母乳授けの信仰には、授乳に悩む母親を家族が支えようとする願いも込められてきました。始まりの伝承で御神木に祈ったのも、母親と幼い孫を案じた祖母です。母親自身に加え、身近な家族も思いを託す神として親しまれています。

乳授姫大神チチサズケヒメのご利益・ご神徳

項目内容
ご利益母乳授け、子宝、安産、縁結び、病気平癒
ご神徳母子を守り、命の誕生と健やかな育ちを支えるとされる働き

子宝や安産、縁結びの信仰には、御神木が倒れた後、根元から新しいナラの芽が出たという出来事が結び付いています。人々はその生命力に、命を次の世代へつなぐ神の力を感じたと伝えられています。願いがかなった際にはお礼の幟を奉納する風習があり、かつて御神木の周りには多くの幟が立ち並んだと伝えられています。

現在の乳神神社でも、子宝や安産、病気平癒などの祈願を受け付けています。安産のお守りには、神前に納めた腹帯の木綿を裂いて入れるものがあり、母と子を守ってほしいという願いが込められています。

ここで紹介するご利益は信仰上のもので、授乳や病気への医療的な効果を保証するものではありません。授乳や体調に不安があるときは、医療機関や助産師にも相談してください。

乳授姫大神チチサズケヒメの家系図・関係する神々

乳神神社の由緒は、瀬多来の御神木への祈りを信仰の起こりとして伝えています。乳授姫大神チチサズケヒメの父母や配偶神、兄弟姉妹についての記述はありません。

「乳神様チチガミサマのお子様」「二代様」は、二代目の御神木に付けられた呼び名です。元の木から芽生えたナラを親子になぞらえたもので、地元の人々がその成長を喜び、大切に守ってきました。

同じ境内の浦幌神社本社では、天照皇大神アマテラスと八幡大神ハチマンが祀られています。乳授姫大神チチサズケヒメは、その境内にある乳神神社の祭神です。

乳授姫大神チチサズケヒメの神話・伝承

乳神信仰の始まりとして伝わるのは、幼い孫を思う祖母の祈りです。大正時代中頃の瀬多来で、吉田という老婆が見つけた不思議な木をめぐる話が、乳神神社の由緒に残っています。

森の木に託した祖母の願い

以下は、神社の由緒に伝わる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。

葉の揺れる音の中で、足が止まった。瀬多来の山奥、新之助沢を歩いていた吉田という老婆は、一本の老木を見上げた。幹から張り出した二つのこぶに、目が吸い寄せられたのだ。

近づくほどに、その形がはっきりする。ごつごつしたナラの幹に、まるで乳房のような膨らみが並んでいた。老婆は息をのんだ。

胸に浮かんだのは、生まれて間もない孫と、その母親のことだった。母乳が出ない。何とかしてやりたくても、その悩みを代わって引き受けることはできない。老婆は木を見上げたまま、胸の奥にたまっていたもどかしさをかみしめた。

こんな姿をした木が、ここにある。女神の御神木に違いない。老婆は幹の前で手を合わせ、一度、唇を結んだ。

「孫のため、どうか母親に乳を授けてください」

孫にも、その母にも、安心して過ごしてほしい。声にした願いの先に、二人の顔が浮かぶ。老婆はしばらく顔を上げず、重ねた手に力を込めていた。

その願いは、かなえられた。母親が乳を授かり、孫を養えるようになったのだ。老婆はほっと息をついた。山の中で合わせた手の感触と、あの二つのこぶが胸によみがえった。

祖母の祈りの話は、人から人へ伝わっていった。森のナラの木の前に、新たに手を合わせる人が訪れる。それぞれの胸に、大切な誰かの姿を浮かべながら。

⇒【浦幌神社・乳神神社】乳神信仰の始まりを伝える由緒はこちら

乳授姫大神チチサズケヒメゆかりの神社・祀られている神社

乳授姫大神チチサズケヒメを祀る乳神神社は、浦幌神社の境内にあります。瀬多来の山中で始まった信仰を受け継ぎ、御神木のこぶや乳石に、母乳授けや子宝、安産の願いを託す場所として親しまれています。

乳神神社(浦幌神社境内・北海道浦幌町)

乳神神社は、北海道十勝郡浦幌町字東山町18番地の1に鎮座し、乳授姫大神チチサズケヒメを祀っています。浦幌神社の本社と同じ境内にある小さな神社で、現在の御神体は、元の御神木から残された右側のこぶです。

昭和57年(1982年)、瀬多来地区の過疎化を受けて、より参拝しやすい場所へ移そうと、地域の女性ら14名が奉賛会を立ち上げました。同年9月12日に御神体を遷す祭りが行われ、現在の境内に鎮座しました。本殿には、旧浦幌炭鉱の山神社で用いられ、後に寺の太子堂にもなった建物が受け継がれました。

例祭は毎年5月21日の春季祭と9月21日の秋季祭です。このときには御神体を納める本殿の扉を開き、地域の人々や崇敬者が感謝と祈りを捧げます。令和4年(2022年)には、境内への遷座40年を記念した本殿修復事業が進められました。

⇒乳神神社公式サイトはこちら

乳石とお守りに受け継がれる祈り

乳神神社の本殿の右隣には、乳房の形をした自然石を祀る乳石殿があります。この乳石は昭和57年(1982年)に浦幌町厚内の箱石の沢で見つかり、奉納された石で、木のこぶである本殿の御神体とは別のものです。遷座の際に分霊を迎え、平成19年(2007年)には石を風雨から守るお堂が建てられました。

木綿の「神布守」で乳石を撫で、その布をお守りとして持ち帰る信仰も親しまれています。また、御神木と同じナラ材を一つずつ手彫りした「おっぱい守」も授与され、台紙には御神木を描いた油絵の複写が使われています。

この油絵は、御神木の近くに暮らしていた菅原敏枝が、昭和57年に奉納した「記憶の乳神様チチガミサマの木」です。倒れる前の御神木と二代目の木が描かれ、浦幌神社の社務所に飾られています。拝観を希望するときは社務所へ声を掛けます。

瀬多来神社と御神木のふるさと

御神木が昭和37年(1962年)の台風で倒れた後、地元の人々は残ったこぶを瀬多来神社の傍らの祠に納めました。浦幌神社境内へ遷るまでの約20年間、ここが乳神信仰を支えた場所です。当時の小さな祠は、後に浦幌神社境内の水子神社の本殿へ受け継がれています。

二代目のナラは、今も瀬多来の発祥地で守られています。現在は日立建機の浦幌試験場内にあり、一般の立ち入りはできません。参拝には、御神体を祀る浦幌神社境内の乳神神社を訪れます。

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