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伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)は何の神様?縁結び・子授けと白浜に伝わる神話 | 神様図鑑

伊古奈比咩命イコナヒメは、伊豆の白浜で縁結びや子授けの神として親しまれる女神です。伊豆の島々を開いた三嶋大明神ミシマダイミョウジンの后とされ、海を隔てた三宅島にも祀られています。夫婦の伝承から、噴火を神の働きと受け止めた古代の信仰、今に続く神社の祭りまで紹介します。

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目次

伊古奈比咩命イコナヒメは何の神様?

伊古奈比咩命イコナヒメは、良縁と子授けを願う人々に信仰される、伊豆の女神です。静岡県下田市の白濱神社では主祭神として祀られ、三嶋大明神ミシマダイミョウジンの后神、つまり妻にあたる神とされています。

白浜の伝承では、伊豆の南に暮らしていた賀茂族の姫神として登場します。南の海から来た三嶋大明神ミシマダイミョウジンと結ばれた女神として、夫婦の縁を願う人々に親しまれています。

その名は平安時代の史料にも見え、伊豆の土地を造る神の力と結びつけられていました。三嶋神ミシマノカミとともに朝廷の祭祀を受け、海を隔てた白浜と三宅島で祀られてきた女神です。現在も、良縁や子どもの誕生を願う祈りと、半島と島々を結ぶ祭りが続いています。

伊古奈比咩命イコナヒメの別名

伊古奈比咩命イコナヒメの読みは「いこなひめのみこと」です。「比咩」は「ひめ」と読み、伊古奈比咩神イコナヒメ、伊古那比咩命イコナヒメという表記もあります。三宅島の観光冊子では「伊古奈比売命イコナヒメ」とも書かれています。

江戸時代後期の『伊豆白浜神社縁起』では、三嶋溝樴姫大神ミシマミゾクイヒメや活玉依毘売命イクタマヨリビメと同一の神として語られています。

伊古奈比咩命イコナヒメの御神格・ご利益・ご神徳

伊古奈比咩命イコナヒメの代表的な信仰は、縁結びと子授けです。三嶋大明神ミシマダイミョウジンの后としての伝承に加え、古代には伊豆の土地や火山に関わる神としても敬われました。

伊古奈比咩命イコナヒメの御神格

項目内容
御神格縁結びの神、子授けの神、伊豆の火山と土地の成り立ちに関わる女神

白浜では、三嶋大明神ミシマダイミョウジンの后として、夫婦の縁や新しい命に関わる神とされています。古代の信仰では、伊豆の土地を生み出す力もこの女神に結びつけられました。噴火によって山や海岸の姿が変わる伊豆では、自然の大きな力への畏れが神々を祀る背景にあります。

伊古奈比咩命イコナヒメのご利益・ご神徳

項目内容
ご利益縁結び、子授け
ご神徳良縁を結び、子どもを授かる願いを支える働き

白濱神社では、三嶋大明神ミシマダイミョウジンと結ばれた后神を、縁結びと子授けの神として案内しています。良縁を願う人や子どもを授かりたい人が、それぞれの願いを託しています。

境内の「見目弁財天」は、二神の縁を取り持った見目ミメにちなむ社です。縁結び特別祈願では、氏名を記した用紙を持って、まず見目弁財天、次に白濱神社の拝殿へ参拝します。願いを心の中で申し上げて用紙を納めると、翌朝、神職が神前に奉って祈願します。白濱神社では神前結婚式も営まれています。

伊古奈比咩命イコナヒメの家系図・関係する神々

伊古奈比咩命イコナヒメの夫は、白濱神社で事代主命コトシロヌシと同じ神とされる三嶋大明神ミシマダイミョウジンです。三宅島に伝わる系譜では、二神の子として阿米津和気命アメツワケが挙げられます。

関係神名・説明
夫三嶋大明神ミシマダイミョウジン。白濱神社や三宅島の富賀神社では事代主命コトシロヌシとして祀られます。
子阿米津和気命アメツワケ。三宅島の系譜で事代主命コトシロヌシと伊古奈比咩命イコナヒメの子とされ、富賀神社にともに祀られます。

阿米津和気命アメツワケを祀る富賀神社は、『延喜式』に記された阿米都和氣命神社にあたるとされます。現在も夫婦神と御子神を一緒に祀り、三宅島の人々の信仰の中心となっています。白浜の由緒や三宅島の系図には、伊古奈比咩命イコナヒメの父母や兄弟姉妹の名は記されていません。

白濱神社でともに祀られる見目ミメ・若宮ワカミヤ・剣の御子ツルギノミコは、三嶋大明神ミシマダイミョウジンのお供をする神々です。白浜の由緒では、この三神が伊古奈比咩命イコナヒメとの婚姻を勧めたと伝えられています。

噴火とともに記録された古代の信仰

伊古奈比咩命イコナヒメは、天長9年(832)の記録に三嶋神ミシマノカミと並んで登場します。『釈日本紀』に引かれた『日本後紀』には、二神が深い谷を埋め、高い岩を崩し、およそ二千町もの平地と二つの神宮、三つの池を造ったという伊豆国からの報告が残っています。この異変を三宅島の噴火と結びつける説もあります

二神はこの年、朝廷が特に重く祭る「名神」に列せられました。伊古奈比咩命イコナヒメは嘉祥3年(850)に従五位上、仁寿2年(852)に正五位下という神階を授けられています。神階とは神に贈られた位のことで、嘉祥3年には国の祭祀の対象となる官社にも列せられました。『延喜式』にも、名神祭の対象として伊古奈比咩命神社が記されています。

伊豆諸島の噴火には、ほかの后神をめぐる伝承もあります。承和5年(838)の神津島の噴火について、二年後の『続日本後紀』の記事は、三嶋神ミシマノカミの本后である阿波神アワノカミが、後から迎えられた后に先に位が与えられたことを怒ったためと記しています。この「後の后」を伊古奈比咩命イコナヒメとする説があります。

伊古奈比咩命イコナヒメの神話・伝承

白濱神社には、南の海から来た三嶋大明神ミシマダイミョウジンが、賀茂族の姫神である伊古奈比咩命イコナヒメを后に迎える伝承があります。二神は白浜に宮を造り、ともに暮らすことになりました。

白い浜に、二人の宮を

以下は、白濱神社の由緒に伝わる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。

海から吹く風に、伊古奈比咩命イコナヒメの髪が揺れた。白い浜の向こうには、果ての見えない海が広がっている。その海を渡ってきた神が、今、目の前に立っていた。

三嶋大明神ミシマダイミョウジンは南方から黒潮に乗って伊豆へ来た。富士の大神フジノオオカミから、伊豆の南東の土地を譲り受けたばかりだという。旅の話に耳を傾けながら、伊古奈比咩命イコナヒメは相手の顔をそっと見上げた。

見目ミメ、若宮ワカミヤ、剣の御子ツルギノミコ。三嶋大明神ミシマダイミョウジンに付き従う三神が、賀茂族の姫を后に迎えてはどうかと勧めたのだった。自分の暮らす土地へ来たばかりの神と、これから同じ日々を過ごす。その言葉の重さに、伊古奈比咩命イコナヒメはすぐには声を出せなかった。

「ここに、宮を造ろう」

三嶋大明神ミシマダイミョウジンが白い浜を見渡す。伊古奈比咩命イコナヒメも同じ方へ顔を向けると、二人の間を通り抜ける風が、先ほどよりやわらかく感じられた。胸の奥で固くなっていたものが、少しずつほどけていく。

伊古奈比咩命イコナヒメは三嶋大明神ミシマダイミョウジンの后となった。白浜には宮が造られ、二神の暮らしが始まった。寄せては返す波の音が、二人の宮にも届いていた。

伊古奈比咩命イコナヒメゆかりの神社・祀られている神社

伊古奈比咩命イコナヒメを祀る代表的な社は、伊豆半島の白濱神社と、三宅島の富賀神社です。それぞれに夫婦神が祀られ、海を通じて島々の神に呼びかける祭りや、島内を神輿が巡る神事が続いています。配偶神の伝承にゆかりのある三嶋大社も紹介します。

伊古奈比咩命神社〈白濱神社〉|静岡県下田市

白浜海岸に接する白濱神社は、正式名称を伊古奈比咩命神社といいます。伊古奈比咩命イコナヒメを主神とし、相殿の三嶋大明神ミシマダイミョウジン・見目ミメ・若宮ワカミヤ・剣の御子ツルギノミコとともに、五柱を一つの本殿に祀っています。社伝では、古くは三嶋大明神ミシマダイミョウジンと伊古奈比咩命イコナヒメの本殿が並び立っていたとされます。

10月下旬の例大祭では、火を使って伊豆諸島の神々に祭りの始まりを知らせる「火達祭」が行われます。下田市の無形文化財に指定されている三番叟の舞が奉納され、祭りの終わりには「御幣流し」で島々の神々へ無事終了したことを伝えます。神社裏の白浜海岸には、海に向かって鳥居が立っています。

⇒伊豆白濱神社公式サイトはこちら

富賀神社|東京都三宅村

三宅島の阿古地区にある富賀神社は、事代主命コトシロヌシ、后神の伊古奈比咩命イコナヒメ、御子神の阿米津和気命アメツワケを祀っています。境内からは古墳時代の土器や勾玉、古代の鏡などが見つかっており、島の古い祭祀を伝える場所でもあります。

社伝では、雄山の高い場所にあった宮が噴火で焼け、移転を経て現在の富賀山に鎮座したとされます。隔年に行われる「富賀神社の巡り神輿」は、六日間かけて島内の五地区を回る神事です。神輿を地区ごとに受け渡しながら島を一周する行事は、平成24年(2012)に東京都の無形民俗文化財に指定されました。

⇒富賀神社公式サイトはこちら

三嶋大社|静岡県三島市

三嶋大社は、白濱神社の由緒で、夫の三嶋大明神ミシマダイミョウジンが白浜から移った先とされる神社です。伊古奈比咩命イコナヒメとの関わりは、この配偶神の伝承によるものです。

現在の主祭神は大山祇命オオヤマヅミと積羽八重事代主神コトシロヌシで、この二柱を合わせて三嶋大明神ミシマダイミョウジンと称しています。大社の信仰には、伊豆半島・伊豆諸島の噴火による島造りや、海上交通への祈りが背景にあります。伊豆国一宮として崇敬され、島々と半島を結んできた三嶋信仰を今に伝えています。

⇒三嶋大社公式サイトはこちら

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