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【空属性】吉野神宮|本殿に後醍醐天皇の望みが残る社

吉野神宮の神社属性は、空属性です。

奈良県吉野町にある吉野神宮は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)を祀る神社です。
吉野は京都から見ると南の山ですが、吉野神宮の本殿は正面を北へ向けています。北は、後醍醐天皇が最期まで見ようとした京都の方角なんですね。

『太平記』では、後醍醐天皇が「体は吉野の苔に埋もれても、魂は北の宮を望む」という趣旨の言葉を残したと語られます。南朝の地に祀られた天皇が、亡くなった後も北を見ている。吉野神宮は、その視線を社殿の向きにまで残した神社なのです。

この記事ではそんな吉野神宮についてご紹介いたします。まずは吉野神宮の属性相性から見ていきましょう。

目次

空属性の吉野神宮と相性が良い属性・悪い属性

神社属性の相性相関図
項目属性
吉野神宮の属性空属性
相性の悪い属性地属性・風属性
相性の良い属性空属性・水属性・火属性

相性が悪い場合でも、行ってはいけない、悪いことが起きるということではないので安心してくださいね。神社属性の基本的な考え方や、地・水・火・風・空それぞれの特徴を知りたい方は、下記の記事をご覧ください。

【神社属性】地・水・火・風・空の特徴と性格傾向・相性まとめ

さて、ここからは吉野神宮の基本情報と、普段の参拝では知れることができない話をご紹介していきますね。

吉野神宮の基本情報

スクロールできます
項目内容
所在地奈良県吉野郡吉野町吉野山3226
ご祭神後醍醐天皇
ご利益開運招福、勝運、学業成就、良縁成就など
祭事春の大祭、秋の大祭
公式HP→吉野神宮の公式サイトはこちら

吉野神宮は、明治天皇が後醍醐天皇の偉業をしのび、明治22年に創立を命じた神社です。明治25年の鎮座の際には、吉水神社に安置されていた後醍醐天皇の尊像も本殿へ移されました。

社殿は昭和7年に改築が完成し、総ヒノキ造りの近代神社建築として知られています。春の大祭は4月29日、秋の大祭は9月27日に行われ、浦安の舞や奉納詩吟などが奉納されます。

吉野神宮にまつわる話

北を向く本殿と、北を向く御陵

吉野神宮の本殿は、正北面しています。神社の社殿は土地の形や参道の都合で向きが決まることもありますが、吉野神宮の場合は、後醍醐天皇が京都を思った心を映したものと伝わります。

後醍醐天皇は、第96代天皇です。父は後宇多天皇、母は談天門院藤原忠子(だんてんもんいん・ふじわらのちゅうし)。鎌倉幕府を倒し、建武の新政を始めた天皇でもあります。

けれど建武の新政は長く続かず、足利尊氏との争いの中で、後醍醐天皇は京都を離れて吉野へ入ります。ここで南朝が始まりました。吉野は山深い逃げ場であり、もう一つの朝廷が置かれた場所でもあったのです。

後醍醐天皇の陵は、吉野山の如意輪寺にある塔尾陵(とうのおのみささぎ)です。この御陵も北を向くと伝わります。『太平記』では、後醍醐天皇が最期に、体は南山、つまり吉野の山に埋もれても、魂は北闕(ほっけつ)の天を望む、と語ったとされます。北闕は、北にある宮、つまり京都のことです。

吉野神宮の本殿も北を向き、塔尾陵も北を向く。吉野にいるのに、目は京都へ向けられている。神社と御陵が、同じ方角で後醍醐天皇の思いを示しているんですね。

吉水院で始まった南朝

後醍醐天皇が吉野へ入った時、その居所になったのが吉水院(よしみずいん)でした。今の吉水神社です。もとは金峯山寺の僧坊で、寺の一角が南朝の皇居になりました。

皇居というと、広い御所を思い浮かべます。けれど吉野での南朝は、山の僧坊から始まります。朝廷を名乗る場所が、都の大きな宮殿ではなく、修験道の山にある僧坊だったのです。

後醍醐天皇の皇子には、護良親王(もりよししんのう)がいます。大塔宮(おおとうのみや)とも呼ばれ、吉野で挙兵した人物です。吉野神宮が鎮座する場所は、その護良親王が吉野で戦った時、北条幕府方の本陣になった場所とも伝わります。

つまり吉野神宮の土地は、後醍醐天皇を祀るために選ばれた近代の神社の地であり、南朝の戦いの入口にもなった場所なんですね。

参道を歩く時、そこには明治の神社だけでなく、鎌倉幕府、護良親王、吉野へ入った後醍醐天皇の話が入ってきます。

摂社に並ぶ、南朝を支えた人たち

吉野神宮の境内には、後醍醐天皇を支えた功臣たちを祀る摂社があります。日野資朝(ひの・すけとも)、日野俊基(ひの・としもと)、児島高徳(こじま・たかのり)など、建武中興に関わった人たちです。

日野資朝と日野俊基は、鎌倉幕府を倒そうとした計画に関わり、厳しい運命をたどりました。児島高徳は、隠岐へ流される後醍醐天皇を助けようとした人物として語られます。

桜の幹を削り、天皇を励ます漢詩を書いたという話もあります。桜の山である吉野に、桜へ言葉を刻む忠臣の話が出てくるのも、妙に合うのです。

吉野神宮は、建武中興十五社の中心に置かれる神社でもあります。建武中興十五社とは、後醍醐天皇や南朝方の皇族、武将、忠臣たちを祀る神社のまとまりです。

護良親王を祀る鎌倉宮、楠木正成(くすのき・まさしげ)を祀る湊川神社、新田義貞(にった・よしさだ)を祀る藤島神社なども、そこに入ります。

後醍醐天皇ひとりを祀る社に見えて、境内の摂社や建武中興十五社まで見ていくと、南朝に関わった人たちが各地で神として祀られていることが分かります。敗れた側の名が、明治になって神社の名として並び直したのですね。

吉野の桜は、蔵王権現の木

吉野神宮を語る時、吉野山の桜を外すことはできません。ただ、吉野の桜は花見の名所として植えられた木から始まった話ではありません。修験道の信仰が、桜を山へ増やしていきました。

吉野山には金峯山寺があり、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)の話が残ります。

役行者は、山上ヶ岳で金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)を感得し、その姿をヤマザクラの木に刻んだと伝わります。そこから桜は、蔵王権現に関わる聖なる木として大切にされてきました。

後醍醐天皇が入った吉野は、桜の名所であり、修験道の山であり、南朝の皇居が置かれた場所でもありました。

桜の下で花見をする山に、追われた天皇が入ってきたのではありません。蔵王権現を祀る山に、京都へ戻ることを望んだ天皇が身を置いたのです。

吉野神宮は近代に創建された神社ですが、その背後には、金峯山寺、吉水院、吉野水分神社、金峯神社、大峯奥駈道があります。

後醍醐天皇を祀る社が、こうした古い山の入口に建っている。そこが吉野神宮の見え方を濃くしてくれるところなんですね。

吉野神宮に小話や裏話、豆知識

装飾画像:見出し「この神社の豆知識」

「みくまり」が「みこもり」になる吉野水分神社

吉野山の奥には、吉野水分神社があります。水分は「みくまり」と読み、水を分ける神を意味します。ご祭神は天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)で、山から出る水を田畑や里へ分ける神です。

この「みくまり」が、やがて「みこもり」となまりました。そして子どもを守る「子守宮」として、子授けや安産の信仰を集めるようになります。

水を分ける神が、言葉の変化で子どもを守る神になる。神名の音が少し動いただけで、願いごとの中身まで変わっていくんですね。吉野神宮のご祭神は後醍醐天皇ですが、同じ吉野山には、水源の神、子守の神として信仰された社もあります。

吉野は山の水が出る場所でもありました。青根ヶ峰は水源の山として語られ、象の小川は『万葉集』にも詠まれます。天皇が逃げ込んだ山である前に、水が生まれ、神が祀られ、歌に詠まれた山だったのです。

国栖奏と、もっと古い吉野の人々

吉野には、国栖奏(くずそう)という古い芸能も残ります。国栖は吉野川上流の地域に住んだ人々の名で、『日本書紀』にも登場します。

応神天皇が吉野へ行幸した時、国栖の人々が歌舞を奏したと語られます。また、壬申の乱では、大海人皇子(おおあまのおうじ)、のちの天武天皇を国栖の人々がもてなしたとも伝わります。

後醍醐天皇の南朝を見ると、吉野は中世の政治の山に見えます。国栖奏までたどると、吉野と天皇の関係は『日本書紀』の時代までさかのぼります。天皇が吉野に入る話は、後醍醐天皇から急に始まったものではないんですね。

山に入る天皇を、吉野の人々が迎える。その形が、応神天皇、大海人皇子、後醍醐天皇と、時代を変えて何度も出てきます。吉野神宮の後ろには、そういう長い吉野の土地の話があります。

吉野神宮の見どころ・パワースポット

装飾画像:見出し「パワースポット・見どころ」

北向きの本殿

本殿は、吉野神宮で最も大切なパワースポットです。後醍醐天皇を祀る場所であり、開運招福、勝運、学業成就、良縁成就を願う人が手を合わせます。

本殿が北を向いていることも、吉野神宮ならではの見どころです。吉野から見て北は京都の方角です。後醍醐天皇が最期まで望んだ都の方角へ、社殿そのものが向けられています。

参拝する時は、ただ本殿の前に立つだけでなく、社殿がどちらを向いているのかを一度意識すると、吉野神宮の話がぐっと近くなります。
神社の向きが、御祭神の人生と結ばれているのです。

総ヒノキ造りの社殿と神門

吉野神宮の社殿は、建築の見どころです。本殿、拝殿、神門、回廊などが整えられ、昭和の神社建築を代表する建物として知られています。

境内は、本殿へ向かうほど地盤が高くなるように造られています。大鳥居をくぐり、桜やかえでの林を抜け、広い台地へ出て、社殿へ向かう。歩いているうちに、少しずつ神前へ進んでいく形になっています。

神門は切妻造り、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りです。古い神社の様式を使いながら、近代に整えられた社殿なのですね。後醍醐天皇という中世の人物を、明治から昭和にかけての建築で祀っているところが、吉野神宮らしい見どころです。

桜とかえでの境内

吉野神宮の境内は、自然の見どころもあります。大鳥居から境内へ向かう道には、桜やかえでがあり、春と秋で印象が変わります。

春は、吉野山全体が桜で知られる季節です。吉野の桜は、蔵王権現と役行者の信仰から大切にされてきた木です。吉野神宮の参拝でも、桜を眺める時にその話を思い出すと、花の見え方が変わります。

秋は、かえでの紅葉が見どころです。南朝の歴史を祀る静かな境内に、赤や黄色の葉が入ってくる。後醍醐天皇を祀る本殿と、吉野山の季節を一緒に感じられる場所なのです。

神社属性(繭気属性)の意味と考え方

装飾画像:見出し「神社属性(繭気属性)の意味と考え方」

神社属性とは、人が生まれ持つ「繭気」と、神社に宿るご神気との響き合いを、「五行」「五大」と「霊数」から読み解く考え方です。

「繭」という字が示すように、繭は内側の命を包み、守り、変化を育てるものです。人の気も同じように、魂や身体のまわりにまとわれ、その人がどのような場の気を受け取りやすいかに関わるとされています。

神社は、建物や神様だけでなく、土地の聖性、ご祭神の方向づけ、祭祀と崇敬の積み重なりによって成り立つ場です。

この考え方をさらに詳しく知りたい方は、下記の記事をご覧ください。

神社属性とは | 属性神社の考え方・調べ方はこちら

あなたの属性の調べ方|計算方法

西暦の生年月日の数字を一桁に分け足します。合計が二桁になった場合も一桁になるまで続けます。次に血液型の数字を加えます。

A型は1、B型は2、AB型は3、O型は4です。

<例>1990年1月25日生 A型:1+9+9+0+1+2+5=27 → 2+7=9 → 9+1=8

最後に、出た数字を属性に当てはめます。

1・6は地属性、2・8は水属性、3・7は火属性、4・9は風属性、5は空属性。

計算が面倒な方や、すぐに自分の属性を知りたい方は、自動診断ツールをご用意していますので、お使いください。

神社属性(繭気属性)自動診断ツールはこちら

属性別おすすめ神社

装飾画像:見出し「属性別おすすめ神社」

自分の属性に合う神社を探したい方は、ほかの属性別神社も参考にしてみてください。ここでは、各属性に相性の良い神社の一例をご紹介します。

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属性神社1神社2神社3
地属性砥鹿神社南宮大社難波神社
水属性田無神社鵜戸神宮下鴨神社
火属性川越八幡宮多賀大社大崎八幡宮
風属性玉前神社小網神社大宮氷川神社
空属性山田天満宮小野照崎神社水無瀬神宮

全国の神社属性をもっと詳しく探したい方は、都道府県別の一覧もご覧ください。

【都道府県別・神社属性】全国の神社やパワースポット一覧はこちら

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