天津彦根命は、天照大御神の御子であり、多くの古代氏族が祖先として仰いだ神です。三重県の多度大社では子神とともに天候を司る神として、桑名宗社では子孫や事業の繁栄を願う信仰の中で祀られています。誓約での誕生や家系図をたどりながら、台風との関わり、ゆかりの神社を紹介します。
天津彦根命は何の神様?
天津彦根命は、天照大御神の子として生まれた男神で、古代の多くの一族の祖神です。祖神とは、一族が自分たちの祖先として祀る神のことをいいます。三重県桑名市の多度大社や桑名宗社をはじめ、各地で土地の暮らしや繁栄を守る神として敬われています。
『古事記』では、天照大御神と須佐之男命が、心に偽りがないかを確かめる「誓約(うけい)」を行ったときに現れました。このとき誕生した五柱の男神のうち、三番目が天津彦根命です。
同書は、凡川内国造、山代国造、蒲生稲寸など、十二の氏族の祖としてその名を挙げています。国造は古代の地方を治めた有力者の称号で、蒲生稲寸は近江国、現在の滋賀県の蒲生地方を本拠とした一族です。天津彦根命は、離れた土地に暮らす一族にも共通の祖先として位置づけられていました。
多度では雨乞いや海難防止、桑名では子孫や事業の繁栄が祈られてきました。神話の御子神を祀る信仰は、それぞれの土地の農耕や仕事、家族の暮らしと結びついています。
天津彦根命の別名
天津彦根命の読みは「あまつひこねのみこと」です。文献によって、同じ神の名が次のように書き分けられています。
| 文献 | 神名の表記 |
|---|---|
| 『古事記』 | 天津日子根命 |
| 『日本書紀』 | 天津彦根命 |
| 『新撰姓氏録』 | 天津彦根命、天都比古祢命 |
神名の「日子」は「彦」に当たる語とする説や、太陽の神の子を意味するとする説があります。「天津」と「根」は神をたたえる語とされ、とくに「根」には親しみや敬いを込めた呼び方という解釈があります。同じ誓約で生まれる活津日子根命にも、「日子根」という共通の名が見られます。
天津彦根命の御神格・ご利益・ご神徳
天津彦根命には、一族の祖先として人々を守る信仰と、天候や生業を守る信仰があります。多度や桑名で営まれてきた祭祀には、田畑の実りや航海の安全、家や仕事の繁栄を願う人々の思いが表れています。
天津彦根命の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 古代氏族の祖神、天候を司る神、産業開発・商工業繁栄の神 |
桑名では、天津彦根命は子神とともに、地域の豪族であった桑名首の祖神として祀られてきました。一族の由来を神々の時代へ結びつける祖神の信仰が、土地の繁栄を守る神への崇敬にもつながっています。
多度では、天津彦根命は産業開発や商工業繁栄の神として仰がれます。一方、子の天目一箇命は、刀や斧などを作ったと伝わる鍛冶の神です。親子を祀る多度には、農耕を支える風雨への祈りと、鉄工・鋳物などの仕事を守る信仰が受け継がれています。
天津彦根命のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 多度での雨乞い・海上安全、桑名宗社での子孫繁栄・事業繁栄・厄除開運 |
| ご神徳 | 天候を司り農耕や航海を守る働き、子孫と地域の暮らし・仕事の繁栄を支える守護 |
多度の雨乞いは、田畑に必要な雨を求める祈りです。近世には伊勢湾で海難を避ける祈願も多く捧げられ、恵みの雨を願う信仰と、風雨の災いから暮らしを守ってほしいという願いが重なっています。
桑名宗社が案内する子孫繁栄には、子宝や子供の健やかな成長、家族円満が含まれます。また、商売や事業が栄え、長く続くことも祈られています。厄除開運を含むこれらのご神徳は、桑名神社と中臣神社からなる桑名宗社のものとして紹介されています。
台風との関わりと多度の雨乞い
天津彦根命と台風との関わりは、多度に伝わる風雨の信仰によるものです。多度大社では、父の天津彦根命と子の天目一箇命をともに天候を司る神とし、雨乞いの際には、本宮と別宮の両方で祭典を行ってきました。
暴風との結びつきが特にはっきりしているのは、子神の天目一箇命を祀る別宮・一目連神社です。江戸時代の『和漢三才図会』には、伊勢・尾張・美濃・飛騨で暴風を「一目連」と呼んだことが記されています。一目連の信仰には、風の神と鍛冶の神が重なったものとする説があります。
この「一目連」は、現在の台風だけに限らず、激しい風を広く捉えた呼び名です。『古事記』で天津彦根命が生まれる誓約の神話とは別に、多度では父子への雨乞いと、子神に結びつく暴風の伝承が受け継がれてきました。
一目連神社の社殿には扉がなく、神が力を発揮するとき、すぐに外へ出られるようにするためと伝えられています。風雨を司る神への信仰は、社殿の造りにも表れています。
天津彦根命の家系図・関係する神々
天津彦根命の親神は天照大御神です。『古事記』では、須佐之男命が天照大御神の玉を噛み砕き、吹き出した息の霧から、天津彦根命を含む五柱の男神が現れます。天照大御神は、生まれるもとになった玉が自分のものだったことから、五柱を自分の子と定めました。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 親神 | 天照大御神。五柱の男神を生むもとになった玉の持ち主であり、天津彦根命を自らの子と定めます。 |
| 兄弟神 | 天之忍穂耳命、天之菩卑能命、活津日子根命、熊野久須毘命。『古事記』で、ともに天照大御神の子とされる四柱です。 |
| 子(多度大社の伝承) | 天目一箇命。本宮の天津彦根命に対し、別宮・一目連神社で祀られる子神です。 |
| 子(桑名宗社の伝承) | 天久々斯比乃命。桑名首の祖神とされ、父神とともに桑名神社に祀られています。 |
| 子(『新撰姓氏録』の系譜) | 天之御影神。同書の額田部湯坐連の系譜には「明立天御影命」の名で、天津彦根命の子と記されます。 |
天久々斯比乃命は「あめのくぐしびのみこと」と読みます。桑名宗社では桑名の開祖として仰がれ、その子孫とされる桑名首は代々、祖神を祀る社に仕えたと伝えられています。
天之御影神は、滋賀県野洲市の御上神社の祭神です。天目一箇命と同じ神とする説もあり、表の子神の名は、それぞれの文献や土地で伝わる系譜を示しています。
須佐之男命は誓約で神を出現させた側ですが、五柱の親神とされるのは玉の持ち主である天照大御神です。『古事記』のこの場面には、天津彦根命の配偶神や婚姻の話は記されていません。
天津彦根命の神話・伝承
天津彦根命が生まれるのは、姉の天照大御神と弟の須佐之男命が向き合う誓約の場面です。ここでは『古事記』をもとに、国を奪われると疑う姉の前で新たな神々が生まれ、親神が定まるまでを描きます。
川を隔てた疑い、玉から生まれた命
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
山も川も震えた。弟が天へ上ってくる。その響きを聞いた天照大御神は、身に玉を巻き、矢を背負い、弓を取った。
弟は、自分の国を奪いに来るのか。足を踏みしめると、堅い地面が雪のように蹴散らされた。弓を立て、近づいてくる姿を待ち受ける。
「何のために来た」
須佐之男命は足を止めた。別れを告げに来ただけの自分を、姉は武装して迎えている。「国を奪うつもりなどない。旅立つ前に、あなたに話そうと思っただけだ」
「ならば、お前の心が清いことを、何で確かめればよい」
天照大御神の声は固かった。言葉だけでは足りないのだと、弟にも分かった。短い沈黙の後、須佐之男命は答えた。
「互いに誓約をして、子を生もう」
二柱は天安河を挟んで向き合った。先に手を伸ばしたのは天照大御神だった。弟が腰に帯びていた十拳剣を受け取ると、刃を三つに折った。
折れた剣を天之真名井ですすぎ、噛み砕く。口から放った息が霧となって広がり、その中に三柱の女神が現れた。須佐之男命は、生まれた神々から姉へと視線を戻した。
今度は、姉の身を飾っていた玉が弟の手へ渡った。須佐之男命がそれを井の水ですすぐと、玉どうしが触れ、澄んだ音が響いた。天照大御神は、その玉が口へ運ばれていくのを見つめた。
噛み砕いた玉から、息が放たれる。霧の向こうに、最初の男神が姿を現した。続いて別の玉を受け取った弟が同じように息を吹くと、もう一柱が生まれた。
身につけていた玉が、次々と命になっていく。天照大御神は、弟の手元を追っていた目を、生まれた神々へ向けた。そして、三度目の息が川辺に白く広がった。
その霧の中に現れたのが、天津日子根命だった。
天照大御神は、その姿から目を離さなかった。つい先ほどまで自分の身にあった玉から、また一柱の神が生まれたのだ。張りつめていた息を、ゆっくりと吐いた。
須佐之男命がさらに玉を噛み、息を吹くと、続いて二柱の男神が現れた。合わせて五柱。天照大御神はその姿がそろうのを待ち、川の向こうへ声を通した。
「後に生まれた五柱は、私の玉から生まれた。だから、私の子だ。先に生まれた三柱は、お前の剣から生まれたのだから、お前の子だ」
弟を問いただしていた声が、今は生まれた子らの親を定めていた。天照大御神は、五柱をあらためて見渡した。その眼差しの先に、天津日子根命がいた。
⇒【國學院大學】『古事記』「うけひ」の原文・現代語訳はこちら
天津彦根命ゆかりの神社・祀られている神社
天津彦根命は、伊勢北部の多度や桑名に加え、近江・摂津などの神社でも祀られています。祖神を祀る社、村を守る社、他の神社から分霊を迎えた社など、信仰が伝わった形もさまざまです。
多度大社(三重県桑名市)
多度大社の本宮・多度神社は、天津彦根命を主祭神として祀っています。子の天目一箇命を祀る別宮・一目連神社とともに、多度山の麓に鎮座します。天照大御神の御子を祀ることから、「北伊勢大神宮」とも呼ばれています。
多度には神と仏をともに祀ってきた歴史があり、天平宝字7年(763)には満願禅師によって神宮寺が開かれたと伝わります。元亀2年(1571)の兵火で社殿や神宮寺を失いましたが、江戸時代に桑名藩主・本多忠勝の寄進を受け、慶長10年(1605)に社殿が再興されました。
毎年5月4日・5日の多度祭では、その年の豊作・凶作を占う上げ馬神事などが行われます。また、人々の願いを神へ届ける使者として白馬の伝説が伝わり、雨や家族の幸せを願う多度の信仰に親しまれています。
桑名宗社(三重県桑名市)
桑名宗社は、桑名神社と中臣神社を合わせた名称で、地元では「春日さん」と呼ばれています。このうち桑名神社が、天津彦根命と天久々斯比乃命の親子を祀ります。
桑名首の祖神を祀る社として、古くから桑名の総鎮守となってきました。桑名神社・中臣神社はいずれも『延喜式』の神名帳に載る古社です。
夏の石取祭では、鉦と太鼓を備えた祭車が町を巡ります。8月の第1日曜日を本楽とするこの祭りには、氏子が町屋川から清浄な石を運び、神前へ奉納する神事も受け継がれています。神社では、祖先の神を迎える祭場を整えることが石取の意味だと伝えています。
原野天津彦根神社(兵庫県神戸市)
神戸市北区山田町の原野天津彦根神社は、天津彦根命を主祭神とする神社です。古くは八王子社と呼ばれ、天文17年(1548)の屋根の葺き替えを記した棟札があったことを『摂津誌』が伝えています。
引目祭では、祭りを担う人々が的や御幣などを用意し、厄除けを祈って弓を引きます。神前には、団子と大豆、大根を味噌味で煮た「ぼうろ」という汁物を供え、お下がりとしていただきます。家々が順番に役を受け持ち、地域の人々がともに祭りを営んできました。
天津彦根命が祀られている主な神社
次の神社でも天津彦根命が祀られています。御上神社では末社の鍵取神社に祀られ、多治見の多度神社には伊勢の多度から分霊を迎えたという由緒があります。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 鍵取神社(御上神社末社) | 滋賀県野洲市 |
| 藍那天津彦根神社 | 兵庫県神戸市北区 |
| 多度神社 | 岐阜県多治見市 |
| 外城田神社 | 三重県多気郡多気町 |
