活津彦根命は、天照大御神の御子に数えられる男神で、各地で土地と暮らしを守る神として祀られています。「彦根」という地名の由来にも関わり、滋賀県には神名を受け継ぐ神社が残っています。誓約での誕生、ご利益、兄弟神との関係、現在の祭りを紹介します。
活津彦根命は何の神様?
活津彦根命は、天照大御神の子とされる五男神の一柱です。滋賀県の旧豊浦荘では、その土地に生まれ暮らす人々を守る産土神として信仰されてきました。
神話での登場場面は、天照大御神と須佐之男命が心の清らかさを確かめる「誓約(うけい)」です。互いの持ち物から神を生み出す儀式で、活津彦根命は天照大御神の玉飾りをもとに生まれました。『古事記』では、五柱の男神のうち四番目に名が挙がります。
後世には、土地の守護神として一柱を中心に祀る形や、誓約の五男神を一緒に祀る形で信仰されてきました。近江では地域の人々の成長を見守る神、出雲では豊作や日々の無事を願う五男神の一柱として、祭りや奉納が受け継がれています。
活津彦根命の別名
活津彦根命の名前は、『古事記』と『日本書紀』で次のように記されています。『日本書紀』には、本文のほかに「一書」と呼ばれる別の伝承も収められています。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 『古事記』 | 活津日子根命 |
| 『日本書紀』 | 活津彦根命、活目津彦根命(神代上第七段の一書第三) |
読みは「いくつひこねのみこと」で、彦根などの地域の案内では「いきつひこねのみこと」とも読まれます。神名の「活津」は、活力や生命力をたたえる言葉とされています。「日子」は男性を表す「彦」、または太陽の神の子を意味するという説があり、「根」は親しみや敬意を表す言葉と考えられています。
活津彦根命の御神格・ご利益・ご神徳
活津彦根命は、地域の人々を守る産土神として敬われ、五男神を祀る神社では豊作や長寿、暮らしの平穏が祈られています。地域の祭りには、成人を報告する奉納や、一年の平穏を願う習わしも伝わっています。
活津彦根命の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 天照大御神の御子神、豊浦荘の産土神(土地の守護神) |
産土神は、その土地と、そこで生まれ育つ人々を守る神です。近江の豊浦荘は、749年に聖武天皇が奈良の薬師寺へ寄進した土地で、活津彦根命はこの地域の守り神として信仰されました。地域の祭りには、若者が成人したことを神へ奉告する習わしも残っています。
活津彦根命のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 五穀豊穣、延命長寿、息災安全、家運隆昌、諸災消除、諸願成就(久多美神社の五男神への信仰) |
| ご神徳 | 土地と地域の人々の守護。久多美神社では、実り・長寿・無事な暮らしを支える五男神の恵みとして敬われる |
島根県出雲市の久多美神社では、活津彦根命を含む五男神に、作物の豊かな実りと長寿が願われています。「息災安全」は病気や災いなく暮らすこと、「家運隆昌」は家が栄えることを願う言葉です。さらに、災いを除く「諸災消除」や、さまざまな願いの成就を祈る「諸願成就」のご神徳も伝えられています。
一年の平穏を願う習わしとして、秋の祭りには神事華が奉納されます。その華を家へ持ち帰って飾ると、一年を平穏に過ごせるといわれています。
活津彦根命の家系図・関係する神々
『古事記』では、活津彦根命を含む五男神は、ともに天照大御神の子とされています。ほかの四柱は、同じ親神をもつ活津彦根命の兄弟神です。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 親神 | 天照大御神。誕生のもとになった玉の持ち主で、五男神を自分の子と定めました |
| 兄弟神 | 天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、熊野久須毘命。いずれも天照大御神の子とされる五男神です |
玉を受け取り、噛んで息とともに神を生み出したのは須佐之男命です。活津彦根命は、天照大御神の左手に巻かれていた玉から生まれました。生まれた神の親は、誕生に使った玉や剣をもとから持っていた神とされました。
名前の似た天津日子根命は、活津彦根命とは別の神で、五男神の三番目に生まれます。熊野久須毘命は、活津彦根命に続く五番目の男神です。天津日子根命には多くの氏族の祖となった伝承がありますが、活津彦根命については、『古事記』に妻や子の名前、子孫となる氏族の記述はありません。
活津彦根命の神話・伝承
活津彦根命が誕生するのは、姉弟の疑いを晴らすために行われた誓約の場面です。『古事記』では、剣と玉から八柱の神々が現れ、生まれた子がどちらの神に属するかが定められます。
左手の玉から生まれた神
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
天照大御神の手首で、玉飾りが触れ合った。川の向こうには須佐之男命がいる。別れを告げに来たという弟を前にしても、弓を握る手から力を抜くことはできなかった。
弟が天へ上ってきたとき、山も川も鳴り、国土が震えた。その響きを聞いた瞬間、胸に浮かんだのは、自分の国を奪いに来たのではないかという疑いだった。須佐之男命は、そんな心はないと答えた。
「ならば、その心をどうやって確かめればよい」天照大御神は、川の向こうの弟をまっすぐ見た。須佐之男命はその視線を受け止め、お互いに誓約をして子を生もうと申し出た。
天の安の河を挟んだ二柱の間に、まず剣が渡った。天照大御神は弟の十拳剣を受け取り、三つに折ると、天の真名井の水ですすいだ。硬い剣を噛み砕き、息を吹き出す。
白い霧が広がり、その中から三柱の女神が現れた。多紀理毘売命、市寸島比売命、そして多岐都比売命。剣を受け取ったときには空いていた場所に、今は神々の姿がある。
次は、須佐之男命の番だった。姉から受け取った玉を水ですすぎ、噛み砕いて息を吐く。天之忍穂耳命が現れ、続く玉から天之菩卑能命、天津日子根命が生まれた。
天照大御神は、左手に巻いた玉へ目を落とした。つい先ほどまで自分の手首に重みを残していた玉が、弟のもとへ渡る。須佐之男命がそれを噛み、静かな川辺へ息を吹いた。
霧の中に、四番目の男神が立った。活津日子根命である。天照大御神はその姿を見つめ、空になった左手をゆっくりと下ろした。
右手に巻かれていた玉からは、熊野久須毘命が現れた。これで男神は五柱となった。天照大御神の視線が、男神たちから弟へ戻る。
「この五柱の男の子は、私の玉から生まれた。だから私の子だ。先に生まれた三柱の女の子は、お前の剣から生まれた、お前の子だ」
天照大御神は、五柱の男神へもう一度目を向けた。川の向こうの弟を見張っていた目が、今は自分の子となった神々に注がれている。左手から消えた玉の代わりに、活津日子根命の姿がそこにあった。
活津彦根命ゆかりの神社・祀られている神社
活津彦根命は、近江で土地や城下町の守り神として祀られ、出雲や東海地方では誓約の神々とともに祭神に名を連ねています。一柱への地域信仰と、五男神・八柱の神々への信仰が、各地の社に受け継がれています。
彦根神社(滋賀県彦根市)
彦根市後三条町の彦根神社は、活津彦根命を祀り、「彦根」という地名の由来に関わる神社です。かつて彦根山に活津彦根明神が祀られていたことから、山と土地の名が生まれたと伝えられています。
彦根城の築城に伴って、山にあった社寺は移され、この神を祀る社も撤去されました。その後、井伊家の七代当主・直惟の時代に、地名の由来となる神を城下近くで祀ることになり、現在地へ合祀されて彦根神社と改称しました。井伊家ゆかりの井桁と橘を社紋とし、彦根の惣社として敬われてきました。
活津彦根神社(滋賀県近江八幡市)
近江八幡市安土町下豊浦の活津彦根神社は、活津彦根命を祭神とする神社です。豊浦荘の産土神として古くは「正神大明神」と呼ばれ、1713年には吉田家から、神の位を授ける文書「宗源宣旨」を受けました。この宣旨には「正一位活津彦根大明神」の名が記されています。
神社に伝わる「花の四月祭」では、太鼓や鉦に合わせた踊りが奉納されます。元服を迎えた若者が成人を神へ報告する「御殿舞い」も伝わり、土地の守り神と地域の人々の人生の節目が結びついています。神紋は横木瓜で、本殿は三間社流造です。
久多美神社(島根県出雲市)
出雲市東福町の久多美神社は、活津彦根命を含む五男神を主祭神としています。五男神を祀っていた久多見町池田の池田社から、分霊を迎えた社です。境内の三女神社には、埋女社から迎えた宗像三女神が祀られています。
秋の例大祭では、各町内から獅子舞や剣舞、神事華が奉納されます。神事華の華を求める人々が集まり、奉納された華を取り合います。
活津彦根命が祀られている主な神社
代表の三社のほかにも、次の神社で祀られています。八王子社は萱津神社が兼務する下萱津池端の社、氷川神社は松江市宍道町の社です。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 八王子社 | 愛知県あま市 |
| 津田神社 | 三重県多気郡多気町 |
| 氷川神社 | 島根県松江市 |
| 剱玉神社(白谷) | 島根県鹿足郡吉賀町 |
