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菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)は何の神様?学問のご利益・仁徳天皇との伝承・宇治の墓 | 神様図鑑

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコは、学問の神、宇治の土地を守る神として信仰される皇子です。兄の仁徳天皇ニントクテンノウと皇位を譲り合った伝承で知られ、宇治には宮居の跡と伝わる神社や墓所が残っています。学問のご利益の由来から、神使のうさぎ、兄弟の物語までを紹介します。

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菟道稚郎子命ウジノワキイラツコは何の神様?

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコは、その優れた学識を敬われ、学びを助ける神として祀られています。宇治では、この地に暮らしたという伝承から、地域の人々を守る氏神・産土神としても親しまれてきました。

宇治神社の由緒では、皇子の死を悲しんだ兄の仁徳天皇ニントクテンノウが、宮居のあった地にその霊を祀ったと伝えています。現在も宇治神社と宇治上神社で祀られ、土地の守り神として崇敬を集めています。

『日本書紀』に描かれる菟道稚郎子ウジノワキイラツコは、応神天皇オウジンテンノウの皇子です。百済から来た学者に学び、多くの書物をよく理解したという姿から、学問や教育の道を開いた「文教の始祖」と仰がれています。今日の学業成就や試験合格への祈りも、この学識への信仰につながっています。

その生涯は、『古事記』『日本書紀』などに残る古代の伝承によって伝えられ、生没年や出来事の詳しい実像は明らかになっていません。

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの別名・読み方

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコは「うじのわきいらつこのみこと」と読みます。「菟道」が「うじ」、「稚郎子」が「わきいらつこ」に当たり、「うじのわかいらつこ」という読みもあります。神社で祭神として呼ぶときには、末尾に「命」を付ける表記が使われます。

区分 別名・異表記
『日本書紀』・神社の祭神名 菟道稚郎子ウジノワキイラツコ、菟道稚郎子命ウジノワキイラツコ
『古事記』 宇遅能和紀郎子ウジノワキイラツコ
その他の古典に見える呼称 宇治若郎子ウジノワキイラツコ、宇治天皇ウジノスメラミコト

宇治若郎子ウジノワキイラツコも同じ皇子を指す表記です。『播磨国風土記』の宇治天皇ウジノスメラミコトも、この皇子に当たるとされています。『古事記』『日本書紀』では、即位せずに亡くなった皇子として語られています。

「菟道」は、宇治という地名の古い表記です。皇子とうさぎの縁は、宇治神社に伝わる道案内の物語で知られています。

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの御神格・ご利益・ご神徳

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコには、学問を身につけ、学びを成し遂げることが祈られています。神社によっては、安産や子どもの守護にも結びつけて敬われています。

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの御神格

項目 内容
御神格 学問の神、文教の祖神、宇治の氏神・産土神

『日本書紀』では、最初の師として阿直岐アチキが登場します。阿直岐アチキは百済から馬を伴って来た人物で、経典を読むこともできたため、皇子の師となりました。その推薦によって王仁ワニが招かれ、菟道稚郎子ウジノワキイラツコは王仁ワニからも多くの書物を学んだと語られます。

こうした学びの伝承から、前鳥神社でも修学の神、学問の祖神として祀られています。学校での勉強をはじめ、新しい知識を身につける営みを守る神として信仰されています。

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコのご利益・ご神徳

項目 内容
ご利益 学業成就、受験・各種試験の合格、安産成就(宇治神社)
ご神徳 学びを助ける守護、宇治の土地と人々の守護、子どもの守護(紅葉八幡宮)

宇治神社では学業成就や試験合格が祈られ、前鳥神社には資格取得や就職の祈願に訪れる人もいます。紅葉八幡宮では、学問の神とともに、子どもを守る神としても祀られています。

宇治神社の安産信仰には、安産の神として知られる神功皇后ジングウコウゴウの孫であることと、出産・多産に結びつけられるうさぎとの縁が挙げられています。同社では戌の日に加えて卯の日にも安産を祈る習わしがあり、学問とともに家族の節目を支える信仰が続いています。

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの家系図・関係する神々

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの父は応神天皇オウジンテンノウ、母は和珥氏の宮主宅媛ミヤヌシヤカヒメです。皇位を譲り合う仁徳天皇ニントクテンノウは異母兄に当たり、矢田皇女ヤタノヒメミコと雌鳥皇女メトリは父母を同じくする妹です。

関係 神名・説明
父 応神天皇オウジンテンノウ。皇子を後継者に選んだと伝えられます。
母 宮主宅媛ミヤヌシヤカヒメ。和珥氏の日触使主ヒフレノオミの娘で、『古事記』では宮主矢河枝比売ミヤヌシヤガワエヒメと記されます。
異母兄 仁徳天皇ニントクテンノウ(大鷦鷯尊オオサザキ)、大山守皇子オオヤマモリ。ともに父は応神天皇オウジンテンノウです。
同母妹 矢田皇女ヤタノヒメミコ(八田皇女ヤタノヒメミコ)、雌鳥皇女メトリ。父は応神天皇オウジンテンノウ、母は宮主宅媛ミヤヌシヤカヒメです。
父方の祖母 神功皇后ジングウコウゴウ。応神天皇オウジンテンノウの母に当たります。

『日本書紀』では、応神天皇オウジンテンノウは菟道稚郎子ウジノワキイラツコを皇太子とし、大鷦鷯尊オオサザキにその補佐を命じています。父の死後、大山守皇子オオヤマモリが皇太子を襲おうとすると、大鷦鷯尊オオサザキは計画を弟へ知らせました。菟道稚郎子ウジノワキイラツコは宇治川で迎え撃ち、大山守皇子オオヤマモリは川に沈んで亡くなったと記されています。

その後も菟道稚郎子ウジノワキイラツコは年長の兄を推し、大鷦鷯尊オオサザキは父の決めた後継者を尊重して、互いに皇位を譲り続けました。『古事記』『日本書紀』のこの皇子に関する記事には、妻や子の名は記されていません。

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの神話・伝承

『日本書紀』は、皇位の譲り合いが続いた末に菟道稚郎子ウジノワキイラツコが自ら命を絶ち、兄がその死を深く悲しむ物語を伝えています。『古事記』は皇子が早く亡くなったと記し、自死や一時的な蘇生の場面は語りません。ここでは『日本書紀』の別れの場面をたどります。

三度呼んだ兄の声

以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。

「弟が、亡くなった」

知らせを聞いた大鷦鷯尊オオサザキは、言葉を返せなかった。菟道稚郎子ウジノワキイラツコが自ら命を絶ったという。難波を発って宇治へ急ぐ間も、耳に残ったその一言が消えなかった。

皇位が空いたまま、三年が過ぎていた。父の応神天皇オウジンテンノウが弟を後継ぎに定めたのだからと、大鷦鷯尊オオサザキは皇位を受けなかった。弟もまた兄を推し続け、何度話しても結論は変わらなかった。

魚を献じに来た海人さえ、二つの宮の間を行き来させられたことがある。宇治へ持っていけば難波へ、難波へ運べば宇治へ。魚は傷み、新しい魚に取り替えても同じことが繰り返され、とうとう海人は荷を捨てて泣いた。

弟は、皇位の空いたままの国を案じていた。その声も、譲る気のない表情も、大鷦鷯尊オオサザキにはまだ昨日のことのようだった。もう話すことさえできないのかと思うと、息が詰まった。

宇治の宮に着いたとき、弟が亡くなってから三日が過ぎていた。道を急いだ身体に疲れが残るのに、目の前の弟は身じろぎもしない。名を呼ぼうと口を開いても、最初は声にならなかった。

大鷦鷯尊オオサザキは泣き崩れ、髪を解いた。弟の身体にまたがり、顔をのぞき込む。ひと声目はかすれ、二度目は涙に途切れた。

「わが弟よ。皇子よ」

三度目の呼びかけに、弟が応えた。菟道稚郎子ウジノワキイラツコは目を開け、身体を起こした。大鷦鷯尊オオサザキは息をのみ、見失うまいとその顔を見つめた。

「なぜだ。どうして、自分から逝ってしまった。父上は、私を何とお思いになる」

問いかける声が震えた。弟が起きているのに、胸の痛みは少しも引かなかった。菟道稚郎子ウジノワキイラツコは兄を見て、静かに口を開いた。

「天の定めを、誰がとどめられましょう。父上のもとへ行くことがあれば、兄上の徳と、位を譲ってくださったことをお伝えします」

さらに弟は、遠い道を急いで来た兄の身を案じた。大鷦鷯尊オオサザキは返事を探したが、喉に言葉が詰まった。もう少し、その声を聞いていたかった。

菟道稚郎子ウジノワキイラツコは、同じ母を持つ妹の八田皇女ヤタノヒメミコを、後宮へ迎えてほしいと兄に託した。その言葉を終えると、身体を棺へ伏せた。今度はもう、声を返さなかった。

大鷦鷯尊オオサザキは白い喪の衣をまとい、激しく泣いた。弟を菟道の山の上に葬ってからも、あの短い会話だけが残った。その後、兄は皇位に就き、仁徳天皇ニントクテンノウとなった。

⇒【seisaku.bz】『日本書紀』巻第十一・皇位の譲り合いと菟道稚郎子ウジノワキイラツコの最期はこちら

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの墓はどこ?宇治墓と朝日山

菟道稚郎子ウジノワキイラツコの墓として宮内庁が管理する宇治墓は、京都府宇治市の宇治橋より下流、宇治川東岸の丸山にあります。丸山古墳とも呼ばれ、明治22年(1889)に、ここを皇子の墓と定める「治定」が行われました。

一方、宇治上神社の背後にある朝日山も、皇子の墓があったと伝わる場所です。『日本書紀』には菟道の山の上に葬ったとあり、江戸時代にはこの朝日山の山頂が墓所と考えられました。享保18年(1733)には、地誌研究者の並河五一郎が墓碑を建てています。

現在の宇治墓と、山上にある朝日山の墓碑は別の場所です。宇治墓は明治時代に治定された墓所ですが、古典に書かれた埋葬地がどこに当たるかは確定していません。

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコゆかりの神社・祀られている神社

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコの信仰は、宮居や葬送の伝承が残る京都府宇治市を中心に受け継がれています。宇治神社と宇治上神社は、明治時代までは一体の神社でした。関東では学問の神として、九州では父の応神天皇オウジンテンノウと縁の深い八幡信仰の神社でも祀られています。

宇治神社(京都府宇治市)と神使のみかえり兎

宇治神社は、宇治川東岸の宇治山田に鎮座し、菟道稚郎子命ウジノワキイラツコを祭神とする神社です。この地は皇子の宮居跡と伝わり、本殿と皇子を表す木造坐像は国の重要文化財に指定されています。5月8日の例祭は離宮祭と呼ばれ、春分の日には新年度の学業成就を祈る勧学祭も行われます。

神使の「みかえり兎」は、皇子が河内から宇治へ向かう途中、道に迷った際に現れたと伝わります。うさぎは繰り返し振り返りながら先へ進み、皇子をこの地へ導きました。この由緒から、正しい道へ導く神の使いとして大切にされています。

境内ではうさぎをかたどった手水舎や「みかえり兎」のおみくじにも出会えます。11月には、くぐって知恵を授かるとされる「智恵の輪」が設けられます。

⇒宇治神社公式サイトはこちら

宇治上神社(京都府宇治市)

宇治上神社は宇治神社の北側にあり、菟道稚郎子ウジノワキイラツコ、父の応神天皇オウジンテンノウ、兄の仁徳天皇ニントクテンノウを祀っています。皇子の死を悲しんだ兄が手厚く葬ったという縁起を伝え、平安時代には平等院の鎮守となりました。

国宝の本殿は、三つの内殿を大きな屋根で覆う構造で、平安時代後期に造られた現存最古の神社本殿です。境内には宇治七名水の一つ、桐原水も残っています。現在は、学業成就や家内安全などが祈られています。

⇒宇治上神社公式サイトはこちら

前鳥神社(神奈川県平塚市)

前鳥神社は、平塚市四之宮に鎮座する相模国四之宮です。菟道稚郎子命ウジノワキイラツコを学徳の神として、大山咋命オオヤマクイ、日本武尊ヤマトタケルとともに祀っています。『延喜式』の神名帳に名が見える古社で、現在も合格祈願や資格取得祈願などで参拝されています。

毎年5月5日には相模国府祭に参加し、国家の安泰や豊作を祈ります。国府祭や例祭に伴う麦振舞神事は、神輿を担ぐ人々が力飯を食べ、神と人が食をともにする神事です。

⇒神奈川県神社庁の前鳥神社紹介はこちら

菟道稚郎子命ウジノワキイラツコが祀られている主な神社

以下の神社でも、菟道稚郎子命ウジノワキイラツコが祀られています。春宮神社は宇佐神宮の境内にある摂社で、表参道沿いに鎮座しています。

神社名 住所
紅葉八幡宮 福岡県福岡市早良区
春宮神社(宇佐神宮摂社) 大分県宇佐市

春宮神社のリンク先は、観光庁が公開する日本語解説を含む資料です。

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