彦火火出見尊は、「海幸彦と山幸彦」の山幸彦として知られる神です。山で獲物を得る狩猟の神であり、海の神から授かった水の力や皇室の系譜とも深く関わります。失くした釣り針を探す旅から、ご利益、神武天皇との関係、現在祀られている神社まで紹介します。
彦火火出見尊は何の神様?
彦火火出見尊は、山の恵みを得る山幸彦として登場し、豊穣や暮らしを守る神として信仰される男神です。天から降った瓊瓊杵尊の子にあたり、神武天皇へ続く皇祖神の一柱でもあります。
『古事記』では火遠理命という名で、火をつけた産屋の中で生まれます。母の木花之佐久夜毘売は、一夜で子を宿したことを瓊瓊杵尊に疑われ、無事に産んで天つ神の子であると示そうとしました。父の瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、その子の鵜葺草葺不合命の三代は「日向三代」と呼ばれます。
神話では、山で生きていた神が海の世界へ入り、海神の娘と結ばれ、水を動かす宝珠を持ち帰ります。地上へ戻った後には田を営む場面もあり、狩猟、海、稲作のそれぞれに関わっています。南九州の神社では農耕や漁猟などの営みを導く神として、海辺の社では縁結びや航海の安全を願う神々の一柱として敬われています。
彦火火出見尊の別名
彦火火出見尊の読みは「ひこほほでみのみこと」です。『古事記』と『日本書紀』では異なる名で登場し、神社でも「尊」を「命」と書くなどの違いがあります。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 『古事記』に見える名 | 火遠理命、天津日高日子穂穂手見命、日子穂穂手見命 |
| 『日本書紀』に見える名 | 彦火火出見尊、火折尊 |
| 親しまれる呼び名・祭神表記 | 山幸彦、彦火火出見命 |
山幸彦は、山の獲物を得る神としての呼び名です。『古事記』の「火遠理」は、火が衰えて折れ伏す様子を表すとする説があり、「穂穂手見」の「穂」には稲の実りとの関わりを読み取る説があります。また、「天津日高日子穂穂手見命」は、父や子の名にも通じる形で、天つ神の系譜を継ぐ立場を表すと考えられています。
神武天皇の名にも「彦火火出見」があります。『日本書紀』神武紀の冒頭に記される本人の名で、ここで紹介する山幸彦とは、同書の系譜では祖父と孫にあたります。同じ名が登場しても、海幸山幸の主人公と東征を行う神武天皇は、別の世代の存在として語られています。
彦火火出見尊の御神格・ご利益・ご神徳
彦火火出見尊には、山の幸を得る神、農耕や漁猟を導く神、皇室の祖先神という顔があります。祈願の内容は神社ごとにも特色があり、豊作や家内安全、縁結び、航海・交通安全などへ広がっています。
彦火火出見尊の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 山の幸・狩猟に関わる神、豊穣と殖産の神、日向三代の皇祖神 |
海神から授かる塩盈珠と塩乾珠は、水を満たし、引かせる宝です。『古事記』では、海神が水を掌ることを告げ、兄弟の田の作り方まで指示します。山幸彦が水を動かす力を得る話は、稲作に欠かせない水の支配と結びつけて解釈されています。
殖産とは、農業や漁業などの産業を育て、暮らしを豊かにすることです。鹿兒島神宮では、彦火火出見尊が農耕・畜産・漁猟を人々に教えたという由緒が伝わっています。
彦火火出見尊のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 五穀豊穣、家内安全、厄除招福、縁結び、安産、航海安全、交通安全 |
| ご神徳 | 農耕や漁猟などの営みを育む守り、夫婦の縁と命の誕生への加護、海や道を行く人々の守護 |
鹿兒島神宮の初午祭では、農耕や畜産を導いた神への感謝とともに、五穀豊穣・家内安全・厄除招福が祈られます。豊かな実りや、家族が無事に暮らせることを願う祭りです。
青島神社では、彦火火出見命、妻の豊玉姫命、海への旅を助ける塩筒大神の三柱を祀り、縁結び・安産・航海・交通安全のご神徳を伝えています。これらは夫婦の神や海へ導く神をともに祀る社全体の信仰です。また、父母とともに祀る箱根神社は、箱根路を往来する人々の道中安全の祈願所として親しまれてきました。
彦火火出見尊の家系図・関係する神々
彦火火出見尊は、瓊瓊杵尊と木花之佐久夜毘売の子で、海神の娘の豊玉毘売命を妻とします。次の表は『古事記』の系譜をもとに、家族との関係をまとめたものです。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 父 | 瓊瓊杵尊。天孫降臨によって地上へ来た神です。 |
| 母 | 木花之佐久夜毘売。火をつけた産屋で三柱の子を産みます。 |
| 兄 | 火照命、火須勢理命。ともに同じ父母の子として生まれ、火遠理命は三番目に記されます。 |
| 妻 | 豊玉毘売命。綿津見神の娘で、海神の宮で結婚します。 |
| 子 | 鵜葺草葺不合命。豊玉毘売命との間に、海辺の産屋で生まれます。 |
| 孫 | 神武天皇。鵜葺草葺不合命と玉依毘売命の子です。 |
『日本書紀』第九段の本文では、兄弟は火闌降命、彦火火出見尊、火明命の順に生まれます。『古事記』では末子、『日本書紀』のこの本文では二番目の子で、兄弟の名や順序にも違いがあります。
彦火火出見尊は、神武天皇の父方の祖父です。神武天皇の母である玉依毘売命は豊玉毘売命の妹で、姉が海の国へ帰った後に姉の子を養育し、後にその鵜葺草葺不合命の妻になります。玉依毘売命は、彦火火出見尊にとって妻の妹であり、息子の妻でもある神です。
また、母の父は山の神の大山津見神、妻の父は海の神の綿津見神です。天から来た神の家系に、山と海の神の血筋が重なる形で、神武天皇までの系譜が続きます。
彦火火出見尊の神話・伝承
海幸山幸の物語は、兄から借りた釣り針を失くしたことから始まります。ここでは『古事記』をもとに、火遠理命の海への旅と、豊玉毘売命との出会い、別れまでを描きます。
失われた釣り針と、海の向こうに残した人
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
足もとに並べた釣り針が、光をはね返していた。五百本を作っても受け取られず、千本を差し出しても、兄の火照命は首を縦に振らない。火遠理命は、剣を壊してまで作った針の山を見つめた。
「欲しいのは、もとの針だ」
兄の言葉は少しも変わらなかった。山の獲物を得る自分と、海の獲物を得る兄とで道具を取り替えてみたいと、頼み込んだのは火遠理命の方だった。ところが魚は一匹も釣れず、借りた針まで海に消えてしまったのだ。
海辺に座ると、寄せた波が足をぬらした。涙を拭って顔を上げても、この広い海のどこを探せばいいのか見当もつかない。その傍らに現れた塩椎神は事情を聞き、小さな舟を作ってくれた。
「潮の道を進め。海神の宮に着いたら、井戸のそばの木に登って待つのだ」
押し出された舟は、岸から遠ざかっていった。不安を抱えてたどり着いた先には、魚のうろこのように連なる宮があった。言われたとおり木の枝に身を置くと、水を汲みに来た女が井戸の光に気づき、顔を上げた。
火遠理命は水を求め、首に掛けていた玉を口に含み、差し出された器へ吐き入れた。玉は器にぴたりと付き、女が取ろうとしても外れない。女はそのまま器を持ち帰り、豊玉毘売命に見せた。
外へ出てきた豊玉毘売命と、目が合った。豊玉毘売命は目をそらさず、火遠理命の胸からも、知らない国にひとりで来た心細さが薄れていった。父の綿津見神は訪れた神を天つ神の子と認め、幾重にも重ねた敷物の上へ迎えて宴を開き、娘と結婚させた。
海の宮で三年が過ぎた。豊玉毘売命と暮らすある夜、火遠理命の口から、深いため息が落ちる。「もとの針だ」という兄の声が耳の奥によみがえり、帰ることも忘れていた幸せな日々の先に、地上で待つ兄の顔が浮かんだ。
いつもと違う夫の様子を気にかけた豊玉毘売命は、父に相談した。綿津見神は婿から釣り針の話を聞くと、海の魚を集め、喉に物がつかえて食べられずにいる鯛を見つけた。その喉から取り出された針を見た瞬間、火遠理命は身を乗り出した。
これがあれば、帰れる。ようやく息をついた火遠理命に、綿津見神は針を返す時の呪いの言葉を教え、兄が高い田を作れば低い田を、低い田を作れば高い田を営むように告げた。「水は私が掌っている」と言い、さらに二つの珠を差し出した。
満ちる水を呼ぶ塩盈珠と、水を引かせる塩乾珠。兄が攻めてきたら満ちる珠で溺れさせ、助けを求めたら引く珠で救うのだと教えられた。火遠理命は針と珠を携え、一尋和邇という海の生き物に乗ると、一日のうちに地上へ戻った。
教えられたとおりに針を返して田を営むと、兄は次第に貧しくなった。怒りを募らせて迫る火照命を前に、火遠理命は塩盈珠を取り出した。水はたちまち兄の足をのみ、腰を越え、叫ぼうとした口へ流れ込んだ。
火照命は必死に水をかき、助けを求めた。塩乾珠を出すと水が引き、兄は地面に崩れ、むせながら息を吸い込んだ。溺れる苦しみと救われることを繰り返した末、ついに頭を下げ、これからは昼も夜も弟を守って仕えると誓った。
その後、子を宿した豊玉毘売命が海から訪れた。天つ神の子を海の中で産むわけにはいかないと告げたため、波の寄せる岸に、鵜の羽を葺く産屋が建てられた。屋根が仕上がらないうちに産気づいた妻は、痛みに耐えかねて中へ入り、外にいる夫へ声をかけた。
「子を産む時は、故郷の姿に戻る。どうか、私を見ないでほしい」
火遠理命の胸に、その言葉が引っかかった。見てはいけないと分かっているのに、妻のいう「故郷の姿」が頭を離れず、そっと中をのぞいた。そこにいたのは、巨大な八尋和邇だった。
長い体がうねり、産屋の中を這う。見慣れた妻の姿を探しても見つからず、火遠理命は息をのんだ。恐ろしさに足がもつれ、後ずさると、その場から逃げ出した。
豊玉毘売命は、見られたことを知った。夫にだけは隠しておきたかった姿を思うと、顔を上げられない。「海の道を通って、何度でもあなたのもとへ来るつもりだったのに」
豊玉毘売命は生まれた子を残し、海と陸とを結ぶ道を塞いで、海の国へ帰ってしまった。兄に勝つ力を手にしていた火遠理命も、去っていく妻を留めることはできなかった。産屋には、葺き終えていない鵜の羽の屋根が残された。
海へ帰っても、豊玉毘売命は夫を恋う気持ちを捨てられなかった。約束を破られた恨みを抱きながら、子を育てる妹の玉依毘売命に託し、夫への思いを歌にして届けた。火遠理命も、一緒に過ごした妻を命ある限り忘れないと、歌を返した。
ふたりの間を隔てる海の道は、閉じたままだった。届いたのは姿でも声でもなく、相手を思い続ける歌だった。
浦島太郎の物語と似ているのはなぜ?
山幸彦と浦島太郎には、海の向こうの異界を訪れ、そこで女性と暮らし、地上へ帰るという共通点があります。『万葉集』巻九の浦島子の歌にも、海神の娘との出会いと婚姻が語られ、この部分を海幸山幸神話と同じ起源から生まれたと見る説があります。
一方、山幸彦の旅の目的は失くした釣り針を探すことで、持ち帰るのは釣り針と水を操る二つの珠です。浦島子の歌では、帰郷した時に家や里が見つからず、開いてはいけない箱を開けて老いる結末が描かれます。物語に似た場面はあっても、彦火火出見尊と浦島太郎は別々の主人公で、山幸彦の話に玉手箱や急な老化は登場しません。
彦火火出見尊ゆかりの神社・祀られている神社
彦火火出見尊の信仰は、海からの帰還を伝える宮崎、農耕や畜産の恵みに感謝する鹿児島、山岳信仰と結びついた箱根などに受け継がれています。妻とともに祀る社、父母とともに祀る社では、それぞれに異なる祭りや祈りが育まれています。
青島神社|宮崎県宮崎市
青島神社は、彦火火出見命、豊玉姫命、塩筒大神を祀る神社です。海神の宮から帰った彦火火出見命の宮居の跡と伝えられ、青島の島内に鎮座しています。
室町時代以降には伊東家の崇敬を受け、社殿の改築や境内の保全が行われました。冬の裸参りは、神の急な帰還に村人が衣を整える間もなく迎えたという伝承にちなむもので、参加者は海で禊をして参拝します。夏には神輿を漁船に乗せ、島を巡る「海を渡る祭礼」も行われます。この海上渡御は、神を海神の宮へお連れしたいという氏子の漁師たちの願いから、昭和二十三年(1948)に始まりました。
鹿兒島神宮|鹿児島県霧島市
鹿兒島神宮は、彦火火出見尊と豊玉比売命を主祭神とする、大隅国一之宮です。当地に高千穂宮を営み、農耕・畜産・漁猟を導いたという由緒を伝えています。
かつては正八幡宮や大隅正八幡とも呼ばれ、八幡信仰とも重なりながら崇敬を集めました。初午祭では、鈴や飾りを付けた鈴懸馬と踊り手が一緒に参詣します。海の宮から帰還したことを記念する藤祭や、神に供える米を作る御田植祭もあり、神話と農の営みに結びついた祭祀が続いています。
同じ霧島市の溝辺町には、彦火火出見尊の陵として定められた高屋山上陵があります。父の瓊瓊杵尊の可愛山陵、子の鵜葺草葺不合命の吾平山上陵とともに「神代三陵」と呼ばれる場所で、神社とは別に、皇祖神を敬う陵墓として守られています。
箱根神社|神奈川県足柄下郡箱根町
箱根神社は、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊の三柱を「箱根大神」として祀っています。父母と子がそろって祀られ、芦ノ湖畔に社殿を構えています。
社伝では、万巻上人が天平宝字元年(757)に現在地へ社殿を建てたとされ、神仏習合の時代には箱根三所権現と呼ばれました。源頼朝による伊豆・箱根への二所詣をはじめ武家の信仰を集め、東海道の交通とともに道中安全を願う参拝も広がりました。八月一日の例大祭では、箱根大神をお祀りする祭典が行われます。
彦火火出見尊が祀られている主な神社
日向三代の神々とともに祀る社や、妻の豊玉姫命を中心に祀る社にも、彦火火出見尊の信仰が見られます。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 霧島神宮 | 鹿児島県霧島市 |
| 高千穂神社 | 宮崎県西臼杵郡高千穂町 |
| 豊玉姫神社 | 鹿児島県南九州市 |
霧島神宮では相殿神として、高千穂神社では日向三代とその配偶神を合わせた「高千穂皇神」の一柱として祀られています。知覧の豊玉姫神社では、主祭神の豊玉姫命の夫神として奉斎されています。
東京の小野神社(多摩市一ノ宮)は、『日本歴史地名大系』に彦火火出見尊を相殿に祀る社として記されています。現在の神社公式サイトは主要な三柱の紹介にとどまり、彦火火出見尊の配祀については同書に記述があります。府中市にも同名の社がありますが、ここで紹介したのは多摩市の小野神社です。
