猿田彦神は、進む道をひらき、物事を良い方向へ導く「みちひらき」の神です。天から降りる神を迎えて道案内をしたという神話があり、新しい門出や旅の安全を願う人々に信仰されています。神社に祀られるほか、道端の「猿田彦大神」と刻まれた石碑にも、その名が残っています。
猿田彦神は何の神様?
猿田彦神は、天孫の道案内を務めた国つ神で、現在は「みちひらき」の神として信仰されています。地上の神々を国つ神、天上の神々を天つ神と呼びます。
神話で猿田彦神が迎えるのは、天照大御神の孫にあたる邇邇芸命です。邇邇芸命が天上の世界から地上へ降りる「天孫降臨」のとき、猿田彦神は天の八衢(あめのやちまた)という分かれ道に現れ、自ら先導を申し出ます。
猿田彦神は、強い光を放つ神として登場します。『古事記』では、高天原という天上の世界と、葦原中国という地上の世界を照らす神として描かれます。『日本書紀』の一つの伝えでは、長い鼻と大きな身体を持ち、目は鏡のように輝き、赤いホオズキにもたとえられています。
伊勢の土地とも深い関わりがあります。『日本書紀』の同じ伝えには、猿田彦神が自分の行く場所として伊勢の五十鈴川上を告げる場面があり、『古事記』には伊勢の阿邪訶(あざか)の海で漁をする話が残ります。
道の分かれ目に立ち、進む先を示す神は、後世には村境や道を守る信仰とも結び付きました。現在は、実際の道を行くときの安全とともに、進学や仕事など、人生の新しい道へ踏み出すときにも祈られています。
猿田彦神は、進む道をひらき、物事を良い方向へ導く「みちひらき」の神です。天から降りる神を迎えて道案内をしたという神話があり、新しい門出や旅の安全を願う人々に信仰されています。神社に祀られるほか、道端の「猿田彦大神」と刻まれた石碑にも、その名が残っています。
猿田彦神は何の神様?
猿田彦神は、天孫の道案内を務めた国つ神で、現在は「みちひらき」の神として信仰されています。地上の神々を国つ神、天上の神々を天つ神と呼びます。
神話で猿田彦神が迎えるのは、天照大御神の孫にあたる邇邇芸命です。邇邇芸命が天上の世界から地上へ降りる「天孫降臨」のとき、猿田彦神は天の八衢(あめのやちまた)という分かれ道に現れ、自ら先導を申し出ます。
猿田彦神は、強い光を放つ神として登場します。『古事記』では、高天原という天上の世界と、葦原中国という地上の世界を照らす神として描かれます。『日本書紀』の一つの伝えでは、長い鼻と大きな身体を持ち、目は鏡のように輝き、赤いホオズキにもたとえられています。
伊勢の土地とも深い関わりがあります。『日本書紀』の同じ伝えには、猿田彦神が自分の行く場所として伊勢の五十鈴川上を告げる場面があり、『古事記』には伊勢の阿邪訶(あざか)の海で漁をする話が残ります。
道の分かれ目に立ち、進む先を示す神は、後世には村境や道を守る信仰とも結び付きました。現在は、実際の道を行くときの安全とともに、進学や仕事など、人生の新しい道へ踏み出すときにも祈られています。
猿田彦神の別名・読み方
「猿田彦命」は「さるたひこのみこと」、「猿田彦大神」は「さるたひこのおおかみ」と読みます。「命」や「大神」は敬意を表す呼び方で、猿田彦神を指しています。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 『古事記』 | 猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神 |
| 『日本書紀』の一つの伝え | 猨田彦大神、猨田彦神、衢神 |
| 神社での呼称 | 猿田彦命、猿田彦大神、興玉大神(二見興玉神社での呼称) |
| 阿邪訶の海の伝承 | 底度久御魂、都夫多都御魂、阿和佐久御魂 |
『古事記』の「猿田毘古」は「さるたびこ」と読まれます。「猨」は「猿」の異体字で、「毘古」と「彦」にも表記の違いがあります。「衢神」は「ちまたのかみ」と読み、道が分かれる場所にいる神を表す呼び方です。
神名の「猿田」の由来には複数の説があり、語源ははっきりしていません。後世には名前の「猿」が、猿を縁とする庚申信仰との結び付きを生みました。
また、椿大神社では佐田彦大神を猿田彦神の別称として伝え、島根県の佐太神社では主祭神の佐太大神を同じ神として祀っています。
猿田彦神の御神格・ご利益・ご神徳
猿田彦神への祈りの中心は、進むべき道をひらく「みちひらき」です。新しい物事を始めるときの導きから、交通や旅行の安全、方位除け、土地や建物を守る祈りまで、暮らしのさまざまな場面に関わっています。
猿田彦神の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 道案内・みちひらきの神、道や境を守る神、土地を守る神 |
天の八衢という分かれ道に立つ猿田彦神は、旅人を導く神や、道を通って入り込む災いを防ぐ神としても敬われてきました。天孫の先導役を務める神への信仰が、人々の移動や暮らしを守る祈りと結び付いています。
土地を守る神としては、家を建てる場所の清めや、工事の安全に関わる祈願があります。椿大神社では地鎮や方災除けなどの信仰が伝わり、伊勢の猿田彦神社でも方位除けや工事安全が祈られています。
神話の先導役は、祭りの姿にも受け継がれています。石川県羽咋市深江町の獅子舞では、赤い長鼻の天狗面を着けて先を導く役を猿田彦神としています。
猿田彦神のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 開運・みちひらき、交通安全・旅行安全、方位除け・厄除け、事業繁栄、工事安全など |
| ご神徳 | 物事の始まりを良い方向へ導く働き、道や土地を守り暮らしの安泰を支える働き |
「みちひらき」の「道」は、道路や旅路に加え、進路や仕事など、これから歩んでいく道にも重ねられています。就職や転職、新しい事業など、先の見えにくい出発にあたり、良い方向へ進めるよう願う信仰です。伊勢の猿田彦神社には「みちひらき御守」のほか、「はじめの一歩御守」もあります。
移動に関わる願いでは交通安全や旅行安全、住まいに関わる願いでは方位除けや工事安全が挙げられます。同社で授けられる「清砂」は、土地や建物を清めるためのものです。
また、猿田彦神を祀る神社には、天宇受売命を祀る社が併設されていることがあります。伊勢の佐瑠女神社で祈られる芸能上達は、その祭神である天宇受売命の働きに結び付くものです。
猿田彦神の家系図・関係する神々
猿田彦神の父母や兄弟、子の系譜は、『古事記』『日本書紀』には記されていません。天孫一行との関わりが語られ、天宇受売命とは夫婦神として祀られる伝承もあります。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 名を尋ね、送り届けた神 | 天宇受売命。猿田彦神に名と目的を尋ね、その後に送り届けた神。椿大神社では妻神として祀られます |
| 先導する相手 | 邇邇芸命。天照大御神の孫で、地上へ降りる天孫 |
| 後裔として伝わる神 | 大田命。伊勢の猿田彦神社の由緒で、猿田彦神の子孫とされる神 |
『古事記』では、邇邇芸命が天宇受売命に、猿田彦神を送り、その名を負って仕えるよう命じます。天宇受売命の子孫にあたる氏族が「猿女君」と呼ばれる由来として語られる話です。二柱の婚姻は本文に記されておらず、妻神として祀る椿大神社には、夫婦の契りを結んだという社伝が受け継がれています。
大田命にも、土地を案内する伝承があります。天照大御神を祀る場所を求める倭姫命に、五十鈴川上の宮地を勧めた神とされます。伊勢の猿田彦神社では、祖神の猿田彦神とともに大田命を祀っています。
猿田彦神の神話・伝承
『古事記』では、天孫が降りる道に光を放つ神が現れ、天宇受売神がその正体を確かめに向かいます。問いかけに答えたのが、道案内のために待っていた猿田毘古神でした。また、伊勢の海で漁をする場面には、三つの御魂の名が伝えられています。
天の分かれ道で、光る神と向き合う
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
目を細めても、道の先がまぶしかった。天宇受売神は手をかざし、指の隙間から前を見た。幾筋もの道が分かれる場所に、誰かが立っている。
その神から放たれる光は、上へは高天原を、下へは葦原中国を照らしていた。こちらを迎えているのか、それとも行く手をふさいでいるのか。姿を見ただけでは、何も分からない。
天照大御神と高木神から命じられた言葉が、耳に残っていた。「おまえは、どのような男神とも向き合える神だ。天つ神の御子が降りる道にいるのは何者か、尋ねてきなさい」
邇邇芸命が、これから地上へ降りようとしている。その道の先に、名も目的も分からない神がいるままにはできない。天宇受売神はかざしていた手を下ろし、一歩を踏み出した。
近づくにつれ、光の中に立つ相手の輪郭が見えてきた。逃げる様子も、こちらへ迫ってくる様子もない。ただ待っているその静けさが、かえって胸を落ち着かなくさせる。
天宇受売神は足を止めた。息を吸い、まぶしさに伏せかけた顔を上げる。相手のいる場所へ、まっすぐ声を向けた。「天つ神の御子がお降りになる道に立っているのは、誰か」
声が届いたあと、返事までの間がひどく長く感じられた。天宇受売神は目をそらさず、次の言葉を待つ。光の向こうから、声が返った。
「私は国つ神。名は、猿田毘古神」
地上の神が、天と地を照らすほどの光を放って、ここにいる。天宇受売神はその名を胸の内で繰り返した。猿田毘古神は、続けてここへ来た理由を告げた。「天つ神の御子がお降りになると聞いた。その御前に仕え、先導しようと思って、迎えに来たのだ」
天宇受売神は、詰めていた息をゆっくり吐いた。行く先を阻むかもしれないと思っていた神は、自ら道案内を申し出ている。張っていた肩から力が抜け、握っていた指がほどけた。
「その言葉を、伝えよう」天宇受売神はそう答え、来た道へ向き直った。背に受ける光は、先ほどと変わらず強い。けれど振り返った先にいるのは、もう正体の知れない神ではなく、名を知った案内の神だった。
阿邪訶の海で語られる三つの御魂
『古事記』には、猿田毘古神が阿邪訶の海で漁をしていたとき、比良夫貝(ひらぶがい)という貝に手を挟まれ、海水に沈んで溺れる話もあります。
海底へ沈むときの名が底度久御魂、海水が粒立つときの名が都夫多都御魂、泡が咲くときの名が阿和佐久御魂です。「そこどく」「つぶたつ」「あわさく」という名に、沈む身体と、その上で動く水や泡の様子が重ねられています。
阿邪訶は、現在の三重県松阪市阿坂付近にあたるとされます。この地域には大阿坂と小阿坂に同名の阿射加神社があり、猿田彦神に関わる伝承が受け継がれています。
道端の「猿田彦大神」の石碑にはどんな意味がある?
「猿田彦大神」と刻まれた石碑は、道や集落を守る神への祈りを伝えるものです。庚申信仰の仲間が建てた石塔も各地に残り、文字で神名を刻むもののほか、神の姿を彫ったものもあります。神名を掲げて神を祀る碑で、故人を葬る墓とは役割が異なります。
道祖神と重なった道の守り
道祖神は、村境や辻、峠などで、疫病や災いが入り込むのを防ぐ神々の呼び名です。地域によって石そのものを祀ったり、男女一対の像を立てたりと、さまざまな形があります。分かれ道に立ち、先を導く猿田彦神も、中世には道祖神や「塞の神」と結び付けられていたとされます。
石碑には、その土地の暮らしや出来事も刻まれています。福岡県水巻町の「猿田彦大神碑」は、1713年に建てられ、享保の大飢饉を乗り越えた後の1747年に再建されたと伝わります。同町には、村人が1721年に建て、道しるべとなっていたと伝わる「興玉神・猿田彦大神碑」もあります。
碑面には、建立した年や「講中」といった人々の集まりの名が刻まれていることがあります。また、道路の拡幅などで、もとの辻から神社境内や別の場所へ移された例もあります。目の前の碑の由来を知りたいときは、刻まれた年月や地名と、自治体・郷土資料館の記録が手掛かりになります。
庚申講が建てた石塔
庚申(こうしん)は、干支では「かのえさる」にあたり、60日ごとに巡ってくる日です。庚申信仰のもとになったのは、中国の道教に伝わる「三尸(さんし)」の考え方です。人の身体にいる三尸が、庚申の夜に眠っている間に天へ昇って罪を告げ、寿命を縮めると信じられました。それを防ぐために夜を明かす「庚申待ち」が行われ、近隣の人々が集まる「庚申講」が作られました。
庚申の信仰には、仏教や神道などの考え方が重なっています。仏教の信仰では青面金剛が祀られ、神道の立場では猿田彦神を祀る形も広がりました。江戸時代には、山崎闇斎らが「申」と「猿」の結び付きから猿田彦神を庚申の神とする説を唱え、人々の集まりや石塔の建立を通じて各地へ伝わりました。
その変化が具体的に残るのが、大分県豊後高田市の道園です。1729年の青面金剛塔と、1753年の猿田彦神の像を刻んだ塔が並び、後者には杖を持ち、葉の衣を着けた老人の姿が彫られています。この地域では、神道の形で庚申を祀るようになる前後の塔とされ、1753年からの祭祀に関わる帳簿も、ほぼ途切れることなく残っています。
埼玉県北本市の「猿田彦太神」は、1812年に上中丸村の22人の講中が建てたものです。北海道札幌市にも、1908年に移住者が持参した猿田彦神の掛け軸を信仰し、庚申講を結んで建てた碑が残ります。
猿田彦神ゆかりの神社・祀られている神社
猿田彦神の信仰は、神話に登場する伊勢の土地と深く結び付いています。三重県には、道開きの本宮を称する神社、子孫とされる家が祀り続けてきた神社、海の神石を拝む神社があり、それぞれに異なる由緒や祭祀が残ります。全国では「猿田彦神社」という社名のほか、白鬚神社などでも祀られています。
椿大神社(三重県鈴鹿市)
椿大神社は「つばきおおかみやしろ」と読み、猿田彦大神を主神として祀る神社です。「地祇猿田彦大本宮」を称し、道を導く祖神への信仰を伝えています。入道ヶ嶽・椿ヶ嶽を背にした境内に鎮座し、倭姫命の託宣によって祀られたという由緒があります。
別宮の椿岸神社には、妻神とされる天之鈿女命が祀られています。猿田彦大神の道を導く働きと、天之鈿女命の芸能に関わる働きが、それぞれの社で信仰されています。
特色ある神事が、3年ごとの丑・辰・未・戌年に行われる「椿宮獅子神御祈祷神事」です。神面や獅子頭に猿田彦大神と天之鈿女命の神霊を迎えて奉仕するもので、三重県の無形民俗文化財に指定されています。
猿田彦神社(三重県伊勢市)
伊勢の猿田彦神社は、猿田彦大神と大田命を祀る神社です。猿田彦大神の子孫と伝わる宇治土公(うじのつちぎみ)家が、祖神を祀ってきたとされます。由緒に挙げられる『皇太神宮儀式帳』は太田命を宇治土公の祖とし、『倭姫命世記』は大田命を猿田彦神の後裔として伝えています。
境内の八角形の「方位石」は、昭和11年の造営より前に神座があった場所を示すものです。方角を刻んだ石には、みちひらきの神徳が表されています。また、境内社の佐瑠女神社では、天宇受売命が芸能の神として祀られています。
毎年5月5日の御田祭では、御神田に早苗を植え、豊かな実りを祈ります。田植えに続いて団扇角力や豊年踊りも行われ、農耕の営みを神へ奉仕する祭りが伝えられています。
二見興玉神社(三重県伊勢市)
二見興玉神社は、興玉大神を祀る神社です。同社では興玉大神を猿田彦大神の別名とし、相殿に宇迦乃御魂大神を祀っています。海中の「興玉神石」を遥かに拝む信仰があり、夫婦岩はその神石へ向かう門や鳥居に見立てられています。
二見の海辺には、参拝に先立って身を清める禊の伝統があります。夏至祭では、日の出に合わせて夫婦岩の前で禊を行います。
夫婦岩を結ぶ大注連縄は、年3回の「大注連縄張神事」で張り替えられます。現在の社名となったのは、1910年に興玉社と三宮神社を合祀したときです。
猿田彦神を祀る全国の主な神社
代表的な三社のほかにも、猿田彦神を祀る神社は各地にあります。下の一覧には主神として祀る社と、複数の祭神の一柱として祀る社を含みます。佐太神社では、佐太大神を猿田彦神と同じ神として祀っています。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 白鬚神社 | 滋賀県高島市 |
| 大麻比古神社 | 徳島県鳴門市 |
| 田村神社 | 香川県高松市 |
| 猿田彦神社(藤崎) | 福岡県福岡市早良区 |
| 椋神社 | 埼玉県秩父市 |
| 阿射加神社(小阿坂) | 三重県松阪市 |
| 白鬚神社(桃生町高須賀) | 宮城県石巻市 |
| 佐太神社 | 島根県松江市 |
琵琶湖の湖中鳥居で知られる高島市の白鬚神社は、猿田彦命を祀り、導きと延命長寿の信仰を伝えています。福岡市藤崎の猿田彦神社では、60日ごとの庚申の日に祭りが行われ、厄除けの猿面が授けられます。
猿田彦神の御神格・ご利益・ご神徳
猿田彦神への祈りの中心は、進むべき道をひらく「みちひらき」です。新しい物事を始めるときの導きから、交通や旅行の安全、方位除け、土地や建物を守る祈りまで、暮らしのさまざまな場面に関わっています。
猿田彦神の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 道案内・みちひらきの神、道や境を守る神、土地を守る神 |
天の八衢という分かれ道に立つ猿田彦神は、旅人を導く神や、道を通って入り込む災いを防ぐ神としても敬われてきました。天孫の先導役を務める神への信仰が、人々の移動や暮らしを守る祈りと結び付いています。
土地を守る神としては、家を建てる場所の清めや、工事の安全に関わる祈願があります。椿大神社では地鎮や方災除けなどの信仰が伝わり、伊勢の猿田彦神社でも方位除けや工事安全が祈られています。
神話の先導役は、祭りの姿にも受け継がれています。石川県羽咋市深江町の獅子舞では、赤い長鼻の天狗面を着けて先を導く役を猿田彦神としています。
猿田彦神のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 開運・みちひらき、交通安全・旅行安全、方位除け・厄除け、事業繁栄、工事安全など |
| ご神徳 | 物事の始まりを良い方向へ導く働き、道や土地を守り暮らしの安泰を支える働き |
「みちひらき」の「道」は、道路や旅路に加え、進路や仕事など、これから歩んでいく道にも重ねられています。就職や転職、新しい事業など、先の見えにくい出発にあたり、良い方向へ進めるよう願う信仰です。伊勢の猿田彦神社には「みちひらき御守」のほか、「はじめの一歩御守」もあります。
移動に関わる願いでは交通安全や旅行安全、住まいに関わる願いでは方位除けや工事安全が挙げられます。同社で授けられる「清砂」は、土地や建物を清めるためのものです。
また、猿田彦神を祀る神社には、天宇受売命を祀る社が併設されていることがあります。伊勢の佐瑠女神社で祈られる芸能上達は、その祭神である天宇受売命の働きに結び付くものです。
猿田彦神の家系図・関係する神々
猿田彦神の父母や兄弟、子の系譜は、『古事記』『日本書紀』には記されていません。天孫一行との関わりが語られ、天宇受売命とは夫婦神として祀られる伝承もあります。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 名を尋ね、送り届けた神 | 天宇受売命。猿田彦神に名と目的を尋ね、その後に送り届けた神。椿大神社では妻神として祀られます |
| 先導する相手 | 邇邇芸命。天照大御神の孫で、地上へ降りる天孫 |
| 後裔として伝わる神 | 大田命。伊勢の猿田彦神社の由緒で、猿田彦神の子孫とされる神 |
『古事記』では、邇邇芸命が天宇受売命に、猿田彦神を送り、その名を負って仕えるよう命じます。天宇受売命の子孫にあたる氏族が「猿女君」と呼ばれる由来として語られる話です。二柱の婚姻は本文に記されておらず、妻神として祀る椿大神社には、夫婦の契りを結んだという社伝が受け継がれています。
大田命にも、土地を案内する伝承があります。天照大御神を祀る場所を求める倭姫命に、五十鈴川上の宮地を勧めた神とされます。伊勢の猿田彦神社では、祖神の猿田彦神とともに大田命を祀っています。
猿田彦神の神話・伝承
『古事記』では、天孫が降りる道に光を放つ神が現れ、天宇受売神がその正体を確かめに向かいます。問いかけに答えたのが、道案内のために待っていた猿田毘古神でした。また、伊勢の海で漁をする場面には、三つの御魂の名が伝えられています。
天の分かれ道で、光る神と向き合う
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
目を細めても、道の先がまぶしかった。天宇受売神は手をかざし、指の隙間から前を見た。幾筋もの道が分かれる場所に、誰かが立っている。
その神から放たれる光は、上へは高天原を、下へは葦原中国を照らしていた。こちらを迎えているのか、それとも行く手をふさいでいるのか。姿を見ただけでは、何も分からない。
天照大御神と高木神から命じられた言葉が、耳に残っていた。「おまえは、どのような男神とも向き合える神だ。天つ神の御子が降りる道にいるのは何者か、尋ねてきなさい」
邇邇芸命が、これから地上へ降りようとしている。その道の先に、名も目的も分からない神がいるままにはできない。天宇受売神はかざしていた手を下ろし、一歩を踏み出した。
近づくにつれ、光の中に立つ相手の輪郭が見えてきた。逃げる様子も、こちらへ迫ってくる様子もない。ただ待っているその静けさが、かえって胸を落ち着かなくさせる。
天宇受売神は足を止めた。息を吸い、まぶしさに伏せかけた顔を上げる。相手のいる場所へ、まっすぐ声を向けた。「天つ神の御子がお降りになる道に立っているのは、誰か」
声が届いたあと、返事までの間がひどく長く感じられた。天宇受売神は目をそらさず、次の言葉を待つ。光の向こうから、声が返った。
「私は国つ神。名は、猿田毘古神」
地上の神が、天と地を照らすほどの光を放って、ここにいる。天宇受売神はその名を胸の内で繰り返した。猿田毘古神は、続けてここへ来た理由を告げた。「天つ神の御子がお降りになると聞いた。その御前に仕え、先導しようと思って、迎えに来たのだ」
天宇受売神は、詰めていた息をゆっくり吐いた。行く先を阻むかもしれないと思っていた神は、自ら道案内を申し出ている。張っていた肩から力が抜け、握っていた指がほどけた。
「その言葉を、伝えよう」天宇受売神はそう答え、来た道へ向き直った。背に受ける光は、先ほどと変わらず強い。けれど振り返った先にいるのは、もう正体の知れない神ではなく、名を知った案内の神だった。
阿邪訶の海で語られる三つの御魂
『古事記』には、猿田毘古神が阿邪訶の海で漁をしていたとき、比良夫貝(ひらぶがい)という貝に手を挟まれ、海水に沈んで溺れる話もあります。
海底へ沈むときの名が底度久御魂、海水が粒立つときの名が都夫多都御魂、泡が咲くときの名が阿和佐久御魂です。「そこどく」「つぶたつ」「あわさく」という名に、沈む身体と、その上で動く水や泡の様子が重ねられています。
阿邪訶は、現在の三重県松阪市阿坂付近にあたるとされます。この地域には大阿坂と小阿坂に同名の阿射加神社があり、猿田彦神に関わる伝承が受け継がれています。
道端の「猿田彦大神」の石碑にはどんな意味がある?
「猿田彦大神」と刻まれた石碑は、道や集落を守る神への祈りを伝えるものです。庚申信仰の仲間が建てた石塔も各地に残り、文字で神名を刻むもののほか、神の姿を彫ったものもあります。神名を掲げて神を祀る碑で、故人を葬る墓とは役割が異なります。
道祖神と重なった道の守り
道祖神は、村境や辻、峠などで、疫病や災いが入り込むのを防ぐ神々の呼び名です。地域によって石そのものを祀ったり、男女一対の像を立てたりと、さまざまな形があります。分かれ道に立ち、先を導く猿田彦神も、中世には道祖神や「塞の神」と結び付けられていたとされます。
石碑には、その土地の暮らしや出来事も刻まれています。福岡県水巻町の「猿田彦大神碑」は、1713年に建てられ、享保の大飢饉を乗り越えた後の1747年に再建されたと伝わります。同町には、村人が1721年に建て、道しるべとなっていたと伝わる「興玉神・猿田彦大神碑」もあります。
碑面には、建立した年や「講中」といった人々の集まりの名が刻まれていることがあります。また、道路の拡幅などで、もとの辻から神社境内や別の場所へ移された例もあります。目の前の碑の由来を知りたいときは、刻まれた年月や地名と、自治体・郷土資料館の記録が手掛かりになります。
庚申講が建てた石塔
庚申(こうしん)は、干支では「かのえさる」にあたり、60日ごとに巡ってくる日です。庚申信仰のもとになったのは、中国の道教に伝わる「三尸(さんし)」の考え方です。人の身体にいる三尸が、庚申の夜に眠っている間に天へ昇って罪を告げ、寿命を縮めると信じられました。それを防ぐために夜を明かす「庚申待ち」が行われ、近隣の人々が集まる「庚申講」が作られました。
庚申の信仰には、仏教や神道などの考え方が重なっています。仏教の信仰では青面金剛が祀られ、神道の立場では猿田彦神を祀る形も広がりました。江戸時代には、山崎闇斎らが「申」と「猿」の結び付きから猿田彦神を庚申の神とする説を唱え、人々の集まりや石塔の建立を通じて各地へ伝わりました。
その変化が具体的に残るのが、大分県豊後高田市の道園です。1729年の青面金剛塔と、1753年の猿田彦神の像を刻んだ塔が並び、後者には杖を持ち、葉の衣を着けた老人の姿が彫られています。この地域では、神道の形で庚申を祀るようになる前後の塔とされ、1753年からの祭祀に関わる帳簿も、ほぼ途切れることなく残っています。
埼玉県北本市の「猿田彦太神」は、1812年に上中丸村の22人の講中が建てたものです。北海道札幌市にも、1908年に移住者が持参した猿田彦神の掛け軸を信仰し、庚申講を結んで建てた碑が残ります。
猿田彦神ゆかりの神社・祀られている神社
猿田彦神の信仰は、神話に登場する伊勢の土地と深く結び付いています。三重県には、道開きの本宮を称する神社、子孫とされる家が祀り続けてきた神社、海の神石を拝む神社があり、それぞれに異なる由緒や祭祀が残ります。全国では「猿田彦神社」という社名のほか、白鬚神社などでも祀られています。
椿大神社(三重県鈴鹿市)
椿大神社は「つばきおおかみやしろ」と読み、猿田彦大神を主神として祀る神社です。「地祇猿田彦大本宮」を称し、道を導く祖神への信仰を伝えています。入道ヶ嶽・椿ヶ嶽を背にした境内に鎮座し、倭姫命の託宣によって祀られたという由緒があります。
別宮の椿岸神社には、妻神とされる天之鈿女命が祀られています。猿田彦大神の道を導く働きと、天之鈿女命の芸能に関わる働きが、それぞれの社で信仰されています。
特色ある神事が、3年ごとの丑・辰・未・戌年に行われる「椿宮獅子神御祈祷神事」です。神面や獅子頭に猿田彦大神と天之鈿女命の神霊を迎えて奉仕するもので、三重県の無形民俗文化財に指定されています。
猿田彦神社(三重県伊勢市)
伊勢の猿田彦神社は、猿田彦大神と大田命を祀る神社です。猿田彦大神の子孫と伝わる宇治土公(うじのつちぎみ)家が、祖神を祀ってきたとされます。由緒に挙げられる『皇太神宮儀式帳』は太田命を宇治土公の祖とし、『倭姫命世記』は大田命を猿田彦神の後裔として伝えています。
境内の八角形の「方位石」は、昭和11年の造営より前に神座があった場所を示すものです。方角を刻んだ石には、みちひらきの神徳が表されています。また、境内社の佐瑠女神社では、天宇受売命が芸能の神として祀られています。
毎年5月5日の御田祭では、御神田に早苗を植え、豊かな実りを祈ります。田植えに続いて団扇角力や豊年踊りも行われ、農耕の営みを神へ奉仕する祭りが伝えられています。
二見興玉神社(三重県伊勢市)
二見興玉神社は、興玉大神を祀る神社です。同社では興玉大神を猿田彦大神の別名とし、相殿に宇迦乃御魂大神を祀っています。海中の「興玉神石」を遥かに拝む信仰があり、夫婦岩はその神石へ向かう門や鳥居に見立てられています。
二見の海辺には、参拝に先立って身を清める禊の伝統があります。夏至祭では、日の出に合わせて夫婦岩の前で禊を行います。
夫婦岩を結ぶ大注連縄は、年3回の「大注連縄張神事」で張り替えられます。現在の社名となったのは、1910年に興玉社と三宮神社を合祀したときです。
猿田彦神が祀られている主な神社
代表的な三社のほかにも、猿田彦神を祀る神社は各地にあります。下の一覧には主神として祀る社と、複数の祭神の一柱として祀る社を含みます。佐太神社では、佐太大神を猿田彦神と同じ神として祀っています。
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 白鬚神社 | 滋賀県高島市 |
| 大麻比古神社 | 徳島県鳴門市 |
| 田村神社 | 香川県高松市 |
| 猿田彦神社(藤崎) | 福岡県福岡市早良区 |
| 椋神社 | 埼玉県秩父市 |
| 阿射加神社(小阿坂) | 三重県松阪市 |
| 白鬚神社(桃生町高須賀) | 宮城県石巻市 |
| 佐太神社 | 島根県松江市 |
琵琶湖の湖中鳥居で知られる高島市の白鬚神社は、猿田彦命を祀り、導きと延命長寿の信仰を伝えています。福岡市藤崎の猿田彦神社では、60日ごとの庚申の日に祭りが行われ、厄除けの猿面が授けられます。
