宮崎神宮の神社属性は、地属性です。
宮崎神宮(みやざきじんぐう)は、初代天皇である神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)、つまり神武天皇を祀る神社です。
神武天皇というと、大和へ向かう東征の場面がよく語られますが、宮崎ではその前の姿が濃く残っています。狭野尊(さののみこと)という幼名を持ち、日向で育ち、やがて船で旅立つ人として語られているのですね。
この記事ではそんな宮崎神宮についてご紹介いたします。まずは宮崎神宮の属性相性から見ていきましょう。

地属性の宮崎神宮と相性が良い属性・悪い属性

| 項目 | 属性 |
|---|---|
| 宮崎神宮の属性 | 地属性 |
| 相性の悪い属性 | 水属性・空属性 |
| 相性の良い属性 | 地属性・火属性・風属性 |
相性が悪い場合でも、行ってはいけない、悪いことが起きるということではないので安心してくださいね。神社属性の基本的な考え方や、地・水・火・風・空それぞれの特徴を知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
さて、ここからは宮崎神宮の基本情報と、普段の参拝では知れることができない話をご紹介していきますね。
宮崎神宮の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 宮崎県宮崎市神宮2丁目4-1 |
| ご祭神 | 神日本磐余彦天皇(神武天皇) |
| ご利益 | 国家安泰、勝運、開運、家内安全など |
| 祭事 | 例祭、御神幸祭など |
| 公式HP | →宮崎神宮の公式サイトはこちら |
宮崎神宮は、神武天皇を主祭神とし、相殿に父神の鵜鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、母神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀る神社です。神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、祖父の遺徳をしのんで祀ったのが始まりと伝わります。
明治以前は神武天皇宮、神武天皇社などと呼ばれ、明治6年に宮崎神社、明治11年に宮崎宮、大正2年に宮崎神宮となりました。秋の御神幸祭は「神武さま」と呼ばれ、宮崎の町に御鳳輦(ごほうれん)や行列が出る大きな祭りとして親しまれています。
宮崎神宮にまつわる話
狭野尊という名から見る、船出前の神武天皇
宮崎神宮のご祭神、神日本磐余彦天皇は、神武天皇の即位前の名です。幼名は狭野尊と伝わります。
神武天皇と聞くと、いきなり初代天皇として大和の橿原へ立つ姿を思い浮かべがちですが、宮崎の神話では、まず日向に生まれ育った人として出てきます。高原町の狭野には、神武天皇の生誕地とされる伝承があり、狭野神社も鎮座しています。
この「狭野」という名があるだけで、神武天皇が少し近くなります。遠い天皇号の前に、幼いころの名がある。宮崎神宮で祀られている神武天皇は、大和へ向かう前に日向の土地で息をしていた人として語られてきたのです。
系譜を見ると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鵜鷀草葺不合尊へ続き、その子が神武天皇です。
つまり宮崎神宮は、天孫降臨から神武東征までを一本で抱える神社なんですね。高千穂に降りた神の子孫が、日向で育ち、海へ出て、大和へ向かう。その出発前の場所として、宮崎という土地が語られます。
父の名は、屋根が葺き終わらないうちに生まれた子
宮崎神宮では、神武天皇の父神である鵜鷀草葺不合尊も祀られています。かなり長い名前ですが、この名は出来事そのものです。
山幸彦として知られる彦火火出見尊は、海の宮で豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と結ばれます。豊玉姫は身ごもると、天孫の御子を海原で産むわけにはいかないと、陸へやって来ます。
そのとき産屋の屋根を、鵜の羽で葺こうとしました。けれど、屋根を葺き合わせる前に御子が生まれてしまった。それで、鵜の羽で草の屋根を葺き終えないうちに生まれた子、鵜鷀草葺不合尊という名になったと伝わります。
神武天皇の父の名には、鵜の羽と産屋が入っています。皇統の話の入口に、鳥の羽で屋根を作ろうとして間に合わない場面が置かれているのです。
さらに、神武天皇の母は玉依姫命です。玉依姫は豊玉姫の妹にあたります。姉の豊玉姫が生んだ鵜鷀草葺不合尊を、妹の玉依姫が育て、のちにその妻となって神武天皇を生む。神話の親子関係は、今の感覚で見るとかなり入り組んでいます。
宮崎神宮の相殿に父と母が並ぶとき、そこには海神の宮、鵜の羽の産屋、豊玉姫と玉依姫の姉妹まで入ってきます。神武天皇は山の高千穂だけでなく、海の神の血も強く引いているのですね。
宮崎という名と、神武天皇の宮
宮崎という地名にも、神武天皇の宮居の話があります。
古くは日向国の中に宮崎郡という名が見えます。「宮崎」は、神の宮のあるあたり、あるいは宮の前へ突き出した土地という意味で語られることがあります。『日向風土記』の古い伝えにも、皇孫降臨から神武天皇までの宮所であったため宮崎と呼ぶ、という話が残ります。
宮崎県という名前は今では県名として見慣れていますが、神話の中へ戻すと、宮があった崎、神武天皇の宮のあたりという話になります。
宮崎神宮の西北には、皇宮神社(こうぐうじんじゃ)があります。神武天皇が大和へ出発する45歳まで宮居した地とされる場所です。西には高千穂の峰、下には大淀川を望む小高い丘にあり、神武天皇を「ここから旅立つ人」として見るには、とても大事な神社なんですね。
宮崎神宮で神武天皇を拝むとき、近くに皇宮神社があることを思うと、話が地図の上で動きます。生まれた狭野、宮居したとされる皇宮、船出する日向の海。そして、大和へ向かう長い旅が始まります。
船塚古墳と、美々津の御船出
宮崎神宮の本殿北側には、船塚古墳があります。下北方古墳群の中にある前方後円墳で、神武天皇の船を埋めた塚、または東征のときに船を燃やした場所とも伝わります。
古墳は土を盛った大きな墓です。そこに「船塚」という名がついて、神武天皇の船の伝承が残る。大和へ向かった神武天皇の話が、境内近くの土の形にまで入り込んでいるのです。
神武天皇の船出といえば、美々津(みみつ)の伝承もあります。神武天皇の出発が急に早まり、村人たちが家々を「起きよ、起きよ」と起こしてまわったという話です。そこから、美々津には「おきよ祭り」が伝わります。
出発が早まったため、村人たちは用意していた餅をきちんと整える時間がありませんでした。もち米と小豆をつき混ぜた「つきいれ餅」を献上したといいます。
神武天皇の東征は、神話では大きな歴史の場面として語られます。美々津の話になると、急に朝の支度の音がします。戸を叩く音、起きよという声、あわててつく餅。神武天皇の船出は、土地の人が寝床から起こされる話としても残っているんですね。
東征の途中に出てくる剣と八咫烏
日向を船出した神武天皇は、大和へ向かいます。途中、速吸之門(はやすいのと)、菟狭(うさ)、岡水門(おかのみなと)などを経て、最後は熊野から大和へ入ろうとします。
熊野では、神武天皇の軍が苦しむ場面があります。そこで高倉下(たかくらじ)という人物が神剣をもたらし、その剣の力で一行は助けられます。
さらに高木大神(たかぎのおおかみ)が、八咫烏(やたがらす)を遣わします。八咫烏は三本足のカラスとして知られ、神武天皇を大和へ導いた神の使いです。
神武天皇は、すべてを自分の力で押し切る人物として描かれていません。船で出て、海を渡り、熊野で苦しみ、剣を受け取り、カラスに道を教えられる。神に助けられ、人に助けられ、鳥に案内されて大和へ入るのです。
宮崎神宮に祀られる神武天皇は、その旅が始まる日向の神様です。だからこそ、境内で神武天皇を拝むとき、橿原で即位する場面より前の、船出の朝が見えてきます。
宮崎神宮に小話や裏話、豆知識

健磐龍命と阿蘇へ伸びる創建の話
宮崎神宮の創建伝承には、健磐龍命が出てきます。健磐龍命は、神武天皇の孫にあたる神様です。
健磐龍命が九州の長官に任じられ、祖父である神武天皇の遺徳をしのんで祀ったのが宮崎神宮の始まりと伝わります。この神様は、熊本の阿蘇神社の主祭神としても知られています。
阿蘇では、健磐龍命は阿蘇の開拓神として語られます。宮崎神宮の始まりをたどると、日向の神武天皇から、阿蘇の火山の神へ道が伸びます。
宮崎神宮は日向の神社ですが、創建を語る人物は阿蘇にも祀られる神様なのです。神武天皇の孫が祖父を祀り、その孫自身は阿蘇の信仰の中心になる。九州の神話は、宮崎と熊本のあいだを行き来します。
神武さまと、町へ出る神様
宮崎神宮の御神幸祭は、「神武さま」と呼ばれます。神武天皇の名が、祭りそのものの呼び名になっているのですね。
この祭りでは、御鳳輦や稚児行列などが町へ出ます。神武天皇東征の古代船を表した「おきよ丸」や、シャンシャン馬も登場します。
シャンシャン馬は、花嫁を馬に乗せて鵜戸神宮へ参る宮崎の婚礼風習から知られるものです。馬の首につけた鈴がシャンシャンと鳴るので、そう呼ばれます。
神武天皇の船出の祭りに、古代船と馬が出る。日向の神話では、船も馬もよく働きます。海へ出る神武天皇、陸を走る馬、町を進む御鳳輦。神様が社殿の中におさまらず、町の人が見上げる道へ出てくるのが神武さまなのです。
流鏑馬と「日向の駒」
宮崎神宮では、春に神事流鏑馬(やぶさめ)が行われます。馬を走らせながら弓で的を射る神事です。
日向は古くから馬の産地として知られ、『日本書紀』にも「馬ならば日向の駒」という歌が出てきます。日向の馬は、神話や古代の歌の中でも名を残しているのです。
流鏑馬というと武士の神事のように見えますが、宮崎神宮では神武天皇祭にあわせて行われます。弓を射る音、走る馬、的が割れる音。神武天皇の武の一面が、春の境内に形として出てくるのですね。
オオシラフジと狭野杉
宮崎神宮の境内には、国指定天然記念物のオオシラフジがあります。白く大きな花をつける藤で、春には境内に白い花房を垂らします。
宮崎神宮の社殿には、日向の狭野杉が使われたと伝わります。神武天皇の幼名は狭野尊。ここでまた、狭野という名が木の話として戻ってきます。
狭野という幼名を持つ神武天皇を祀る神社に、狭野杉の社殿があり、白い藤が咲く。神話は人の名前だけでなく、木の名前や花の色にも顔を出すのですね。
宮崎神宮の見どころ・パワースポット

神門から社殿へ続く参道
宮崎神宮の見どころは、神門から社殿へ向かう参道です。広い境内には木々が多く、町の中にありながら、参道を進むと空気がすっと落ち着きます。
現在の社殿群は明治40年に造営され、神殿、幣殿、渡殿、神饌所、正門、玉垣、徴古館などが国の登録有形文化財になっています。復古的な社殿形式で、左右の配置も整えられています。
神武天皇を祀る神社として、古代を思わせる姿を明治の時代に形にした建築なんですね。建築としての見どころであり、神武天皇を拝む中心の場所でもあります。
皇宮神社
皇宮神社は、宮崎神宮の西北にある見どころです。神武天皇が大和へ出発するまで宮居した地と伝わります。
小高い場所にあり、西に高千穂の峰、下に大淀川を望むとされる土地です。宮崎神宮とあわせて参ると、神武天皇を「日向にいた人」として感じやすくなります。
ここは、神武天皇の宮居伝承に触れる場所です。宮崎という地名を、宮のあった土地として見るときに外せない神社なのです。
船塚古墳とオオシラフジ
船塚古墳は、宮崎神宮の本殿北側に隣接する見どころです。前方後円墳としての歴史があり、神武天皇の船を埋めた塚という伝承もあります。
古墳として見ることもでき、神武東征の船の伝承を思う場所にもなります。船出の神話が、境内近くの古墳名として残っているのですね。
オオシラフジは、春に白い花を咲かせる天然記念物です。植物としての見どころですが、宮崎神宮では神話の話が続いたあとに、境内の木や花へ目を向ける場所にもなります。
神社属性(繭気属性)の意味と考え方

神社属性とは、人が生まれ持つ「繭気」と、神社に宿るご神気との響き合いを、「五行」「五大」と「霊数」から読み解く考え方です。
「繭」という字が示すように、繭は内側の命を包み、守り、変化を育てるものです。人の気も同じように、魂や身体のまわりにまとわれ、その人がどのような場の気を受け取りやすいかに関わるとされています。
神社は、建物や神様だけでなく、土地の聖性、ご祭神の方向づけ、祭祀と崇敬の積み重なりによって成り立つ場です。
この考え方をさらに詳しく知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
あなたの属性の調べ方|計算方法
西暦の生年月日の数字を一桁に分け足します。合計が二桁になった場合も一桁になるまで続けます。次に血液型の数字を加えます。
A型は1、B型は2、AB型は3、O型は4です。
<例>1990年1月25日生 A型:1+9+9+0+1+2+5=27 → 2+7=9 → 9+1=8
最後に、出た数字を属性に当てはめます。
1・6は地属性、2・8は水属性、3・7は火属性、4・9は風属性、5は空属性。
計算が面倒な方や、すぐに自分の属性を知りたい方は、自動診断ツールをご用意していますので、お使いください。
属性別おすすめ神社

自分の属性に合う神社を探したい方は、ほかの属性別神社も参考にしてみてください。ここでは、各属性に相性の良い神社の一例をご紹介します。
全国の神社属性をもっと詳しく探したい方は、都道府県別の一覧もご覧ください。
