葛原岡神社の神社属性は、火属性です。
葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は、鎌倉の源氏山のあたりにある、日野俊基(ひの としもと)卿を祀る神社です。
今は縁結び石や魔去ル石でも親しまれていますが、鎌倉幕府に捕らえられた俊基が、妻からの文を読み、自分の髪を少し切って返したという話もあります。
文を読む人が神になり、処刑の岡に良縁の石が置かれ、刀鍛冶の稲荷まで祀られている。葛原岡神社は、鎌倉の山道にそんな話をいくつも抱えています。
この記事ではそんな葛原岡神社についてご紹介いたします。まずは葛原岡神社の属性相性から見ていきましょう。

火属性の葛原岡神社と相性が良い属性・悪い属性

| 項目 | 属性 |
|---|---|
| 葛原岡神社の属性 | 火属性 |
| 相性の悪い属性 | 風属性・水属性 |
| 相性の良い属性 | 火属性・空属性・地属性 |
相性が悪い場合でも、行ってはいけない、悪いことが起きるということではないので安心してくださいね。神社属性の基本的な考え方や、地・水・火・風・空それぞれの特徴を知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
さて、ここからは葛原岡神社の基本情報と、普段の参拝では知れることができない話をご紹介していきますね。
葛原岡神社の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県鎌倉市梶原5-9-1 |
| ご祭神 | 日野俊基卿 |
| ご利益 | 開運、学問成就、厄除け、縁結びなど |
| 祭事 | 例大祭、俊基卿祭など |
| 公式HP | →葛原岡神社の公式サイトはこちら |
葛原岡神社は、鎌倉幕府の倒幕計画に関わり、元弘の変で捕らえられた日野俊基卿を祀る神社です。明治20年に、俊基卿が最期を迎えたと伝わる葛原岡の地に創建されました。
境内の近くには国指定史跡の日野俊基墓があり、社殿のそばには「俊基卿終焉之地」の碑もあります。開運や学問成就の神様として知られますが、境内には縁結び石や魔去ル石もあり、鎌倉散策の途中で立ち寄る人も多い神社なんですね。
葛原岡神社にまつわる話
妻の文を読み、髪を切って返した日野俊基卿
日野俊基卿は、後醍醐天皇に仕えた公家です。日野家は藤原北家(ふじわらほっけ)の流れをくむ家で、文章や儒学を得意とした家柄でした。
俊基は戦場で太刀を振るう武士というより、天皇のそばで言葉と策を扱う人でした。後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとした計画に加わり、日野資朝(ひの すけとも)らと動きます。正中の変では一度許されますが、元弘の変でふたたび捕らえられ、鎌倉へ送られました。
『太平記(たいへいき)』には、俊基の最期がかなり細かく語られています。
家臣の後藤助光(ごとう すけみつ)が、俊基の妻からの文を持って鎌倉へ下ります。俊基は仮粧坂(けわいざか)から葛原岡へ出され、そこで助光と会いました。妻の文を読み、返事を書き、髪を少し切って添えたといいます。
文に文で返すところまでは、公家らしいのです。けれど、そこに髪を切って添える。生きて帰れないことを、言葉より先に髪が伝えてしまいます。
そして俊基は、最後に「無死無生」という言葉を含む偈を書いたと語られます。死も生もない、と言い切るような言葉です。命を奪われる直前に、こういう文を書く人を祀っているので、葛原岡神社の学問成就は、試験の点数だけの話におさまりません。言葉を持って生き、言葉を残して死んだ人なのですね。
よく知られる辞世には、
秋を待たで
葛原岡に消ゆる身の
露のうらみや世に残るらん
という歌もあります。秋を待たずに消える露の身。葛原岡という地名が、ここでは地図の名前ではなく、命が尽きる場所として出てきます。
仮粧坂という、首と化粧の名を持つ坂
葛原岡神社へ向かう道のひとつに、仮粧坂があります。鎌倉七口のひとつで、鎌倉の内側と外側を分ける峠道でした。
この坂は、藤沢方面から武蔵や上野へ向かう道にも通じていました。人や荷が通り、商いもあり、同時に処刑や葬送の場でもあったとされます。賑わいと死が、同じ坂に置かれていたのです。
仮粧坂は「化粧坂」とも書かれ、古い地誌にはいくつかの由来が出てきます。平家方の大将の首に化粧をして首実検をしたから、という話。あるいは、昔このあたりに遊女が住んでいたから、という話もあります。
俊基が葛原岡へ向かった道に、首と化粧の話が残っている。さらに俊基自身は、その岡で妻への返事に髪を添えます。
首、化粧、髪、文。どれも身体や姿に関わるものばかりです。鎌倉の坂道は、合戦の道でもあり、見せしめの道でもあり、別れの道でもありました。葛原岡神社に参拝するとき、あの静かな山道の奥に、そういう坂の顔が隠れています。
葛原岡という名と、御霊の社の話
葛原岡という地名にも、もうひとつ古い話があります。
江戸時代の地誌『鎌倉攬勝考(かまくららんしょうこう)』には、葛原岡の名が葛原親王(かずらわらしんのう)に関わると語られています。葛原親王は桓武天皇の皇子で、桓武平氏の祖とされる人物です。
古い伝えでは、鎌倉権守景成が葛原親王を氏神としてこの岡に祀り、「葛原の宮」または「御霊の社」と呼ばれたといいます。その社はのちに梶原村へ移され、鎌倉権五郎景政(かまくら ごんごろう かげまさ)も祀られるようになったと語られます。
御霊とは、強い思いを残した霊を神として祀る信仰です。鎌倉には御霊の話が多く、武士の名もよく出てきます。そこへ明治になって、鎌倉幕府に斬られた公家、日野俊基卿が祀られました。
葛原岡は、俊基卿だけで急に神聖になった場所というより、古くから「霊を祀る岡」として語られてきた土地でもあったのです。そこに、幕府に敗れた公家の最期が重なりました。鎌倉らしい、武士と公家のねじれた場所なんですね。
葛原岡神社に小話や裏話、豆知識

縁結び石の大黒様と、二宮尊徳の楠
葛原岡神社で人気があるのが、縁結び石です。男石と女石があり、赤い糸のついた五円玉を結んで良縁を願います。
ここで良縁の神様として親しまれているのが大黒様です。大黒様は袋を背負い、打ち出の小槌を持つ福の神として知られます。さらに日本では、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)とも重ねられてきました。
大国主は、出雲の神様として縁結びでよく知られています。国造りをし、さまざまな女神との婚姻譚もあり、子どもも多い神様です。神話の中では、兄神たちに何度もひどい目にあわされ、焼けた石を抱かされて死にかける場面まであります。縁結びの神様なのに、本人の恋や家族関係はずいぶん騒がしいのです。
葛原岡神社の大黒様の木像は、二宮尊徳(にのみや そんとく)邸内にあった楠で作られたと伝わります。二宮尊徳は、薪を背負って本を読む像で知られる人物ですね。勤勉、学び、暮らしの立て直し。その木から作られた大黒様が、俊基卿の神社で良縁を受け持っている。ここでも、文の人と学びの人が少し近くにいます。
魔去ル石と、むくろじの実
境内には、魔去ル石もあります。小さな盃を石に投げて割り、魔を去らせるという厄除けです。「魔が去る」が「勝る」にも通じるので、勝運の願いもこめられます。
願いごとには、結ぶものと割るものがあります。縁結び石では赤い糸を結び、魔去ル石では盃を割る。葛原岡神社では、願いの形が手の動きとして残るんですね。
境内のむくろじも、この話に合います。むくろじは漢字で「無患子」と書きます。子が患わない、という字です。実の中にある黒い種は、昔から羽根つきの羽根の先にも使われてきました。
羽根つきは、子どもの厄をはねのける遊びともいわれます。盃を割って魔を去らせ、むくろじの実で病を遠ざける。境内の木や石が、祓いの道具として見えてきます。
合鎚稲荷社と、鎌倉の刀鍛冶
葛原岡神社の境内には、合鎚稲荷社(あいづちいなりしゃ)もあります。合鎚という名は、刀鍛冶が師匠と弟子で槌を打ち合う姿を思わせます。
この稲荷は、鎌倉の名工・正宗(まさむね)ゆかりの刀鍛冶の守護として語られます。正宗は相州伝の刀工として名高く、鎌倉の刀を語るときに外せない人物です。
葛原岡神社の祭神は、筆と文の公家である日野俊基卿です。そこに、鉄を打つ刀鍛冶の稲荷が同じ境内にいます。
文を残した人と、刀を作る人。鎌倉幕府と戦った公家を祀る場所に、武士の時代を支えた刀の神もいる。葛原岡神社は、鎌倉の政治の話と、職人の手の話が同じ境内に置かれている神社なのです。
葛原岡神社の見どころ・パワースポット

日野俊基卿終焉之地と日野俊基墓
社殿のそばには、「俊基卿終焉之地」の碑があります。ここは、葛原岡神社の信仰の中心に触れる場所です。
少し歩くと、国指定史跡の日野俊基墓もあります。観光名所として見ることもできますが、俊基卿の最期を思って参る場所でもあります。
華やかな社殿や大きな門で見せる神社ではありません。妻の文を読み、髪を返し、鎌倉で斬られた人の墓が、山の中に静かに置かれています。葛原岡神社へ来たら、社殿とあわせて訪れたい場所です。
縁結び石
縁結び石は、良縁を願うパワースポットです。男石と女石に赤い糸を結び、縁が結ばれるように祈ります。
ここで祀られる大黒様は、福や良縁の神様として親しまれています。五円玉を結ぶのも、「ご縁」という言葉そのものを形にした願い方なんですね。
葛原岡神社は日野俊基卿の最期の地ですが、その境内で縁を結ぶ石に人が集まります。別れの文を読んだ岡に、良縁を願う石がある。ここは、葛原岡神社らしい見どころです。
魔去ル石と合鎚稲荷社
魔去ル石は、厄除けや勝運を願うパワースポットです。盃を石に投げて割ることで、魔を去らせるとされています。
割るという動きがあるので、参拝の印象にも残ります。悪いものを言葉で祓うだけでなく、手で投げて割る。小さな盃ひとつですが、厄を断つ所作として分かりやすいのです。
合鎚稲荷社は、鎌倉の刀鍛冶ゆかりの見どころです。正宗の名を思いながら参ると、葛原岡神社の境内に、文の神様、縁結びの大黒様、刀鍛冶の稲荷が並んでいることに気づきます。
神社属性(繭気属性)の意味と考え方

神社属性とは、人が生まれ持つ「繭気」と、神社に宿るご神気との響き合いを、「五行」「五大」と「霊数」から読み解く考え方です。
「繭」という字が示すように、繭は内側の命を包み、守り、変化を育てるものです。人の気も同じように、魂や身体のまわりにまとわれ、その人がどのような場の気を受け取りやすいかに関わるとされています。
神社は、建物や神様だけでなく、土地の聖性、ご祭神の方向づけ、祭祀と崇敬の積み重なりによって成り立つ場です。
この考え方をさらに詳しく知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
あなたの属性の調べ方|計算方法
西暦の生年月日の数字を一桁に分け足します。合計が二桁になった場合も一桁になるまで続けます。次に血液型の数字を加えます。
A型は1、B型は2、AB型は3、O型は4です。
<例>1990年1月25日生 A型:1+9+9+0+1+2+5=27 → 2+7=9 → 9+1=8
最後に、出た数字を属性に当てはめます。
1・6は地属性、2・8は水属性、3・7は火属性、4・9は風属性、5は空属性。
計算が面倒な方や、すぐに自分の属性を知りたい方は、自動診断ツールをご用意していますので、お使いください。
属性別おすすめ神社

自分の属性に合う神社を探したい方は、ほかの属性別神社も参考にしてみてください。ここでは、各属性に相性の良い神社の一例をご紹介します。
全国の神社属性をもっと詳しく探したい方は、都道府県別の一覧もご覧ください。
