赤間神宮の神社属性は、水属性です。
山口県下関市、関門海峡を前に建つ赤間神宮は、第八十一代・安徳天皇(あんとくてんのう)を祀る神宮です。安徳天皇は源平最後の合戦、壇ノ浦の戦いで、祖母の二位尼(にいのあま)に抱かれて海へ入った幼い天皇なんですね。ここで最初に出てくる言葉が「波の下にも都」、海の底にも都がございます、というあの一言なのです。
この記事ではそんな赤間神宮についてご紹介いたします。まずは赤間神宮の属性相性から見ていきましょう。

水属性の赤間神宮と相性が良い属性・悪い属性

| 項目 | 属性 |
|---|---|
| 赤間神宮の属性 | 水属性 |
| 相性の悪い属性 | 火属性・地属性 |
| 相性の良い属性 | 水属性・風属性・空属性 |
相性が悪い場合でも、行ってはいけない、悪いことが起きるということではないので安心してくださいね。神社属性の基本的な考え方や、地・水・火・風・空それぞれの特徴を知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
さて、ここからは赤間神宮の基本情報と、普段の参拝では知る機会が少ない話をご紹介していきますね。
赤間神宮の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 山口県下関市阿弥陀寺町4-1 |
| ご祭神 | 安徳天皇 |
| ご利益 | 海上安全、家内安全、安産、厄除けなど |
| 祭事 | 先帝祭、耳なし芳一琵琶供養祭 |
| 公式HP | →赤間神宮の公式サイトはこちら |
赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで入水された安徳天皇をお慰めする神宮です。もとは安徳天皇の御影堂(みえいどう)を守った阿弥陀寺(あみだじ)で、明治に入って神社となり、赤間宮、さらに赤間神宮へと名が変わりました。
境内には安徳天皇阿弥陀寺陵、平家一門の七盛塚、耳なし芳一堂、宝物殿などがあります。海峡に向かって立つ水天門は、赤間神宮を思い浮かべる時にまず出てくる朱色の門ですね。
赤間神宮にまつわる話
安徳天皇と「波の下にも都」
寿永4年、1185年3月24日。源氏と平家の最後の合戦が、下関の海峡で行われました。源氏の船が数を増し、平家の船が追い込まれていく中で、平家の武将や女官たちは次々と海へ身を投じたと語られます。
その時、安徳天皇を抱いていたのが、平清盛の妻であり、安徳天皇の祖母にあたる二位尼・平時子(たいらのときこ)です。幼い帝が「どこへ連れていくのか」と尋ねると、二位尼は「波の下にも都がございます」と答えたと伝わります。水の中を死の場所として語るのではなく、都として語る。そこに平家の最後のほこりが出てくるんですね。
赤間神宮の神門が竜宮城のような姿をしているのも、この言葉と切り離せません。地上に残された人々が、幼い天皇の行き先を「海の底」と言い切らず、「竜宮の都」として祀った。水天門の朱色は、壇ノ浦の海に沈んだ話を、境内の入口で形にしているのです。
阿弥陀寺から赤間神宮へ
安徳天皇が入水された後、朝廷は建久2年、1191年に長門国へ霊廟(れいびょう)、つまり御霊を祀る建物を建てるよう命じました。御陵の上には御影堂が建てられ、命阿尼(みょうあに)という尼が守ったと伝わります。そこから阿弥陀寺という寺になり、長く安徳天皇のご冥福を祈る場所となりました。
ここが赤間神宮の前身です。今の境内に「阿弥陀寺町」という町名が残っているのも、かつてこの地が阿弥陀寺を中心に語られていた名残なんですね。神社の名は変わっても、土地の名が前の姿を抱えているのです。
明治になると、神仏判然令によって阿弥陀寺は廃され、御影堂は天皇社となりました。明治8年には国の社格を持つ官幣中社・赤間宮が創建され、昭和15年に官幣大社へ昇格して赤間神宮と改称されます。寺から神社へ変わった場所ですが、境内を歩くと、平家供養、琵琶、御陵、怪談が同じ地面に残っています。
先帝祭と上臈参拝
赤間神宮を語る時、先帝祭は外せません。安徳天皇の御命日に合わせて行われる祭りで、5月2日の御陵前祭、5月3日の上臈(じょうろう)参拝、5月4日の御神幸祭が大きな柱になります。
上臈参拝のもとになったのは、壇ノ浦の後に残された平家の女官たちの話です。上臈とは、身分の高い女官を指す言葉です。女官たちは赤間関の人々に助けられ、山野の花を手折って、港に泊まる船人へ売って暮らしたと伝わります。そして安徳天皇の命日になるたび、身を整えて礼拝を続けた。それが上臈参拝の始まりとされるのです。
現在の上臈参拝では、五組の上臈が外八文字(そとはちもんじ)を踏みながら天橋を渡り、御神前へ進みます。外八文字は、足先で外へ八の字を描くように進む歩き方です。美しい行列の奥に、暮らしに追われながらも幼帝への礼をやめなかった女官たちの姿があります。華やかな衣装から始まって、話は壇ノ浦の後の日々へ戻っていくんですね。
5月4日の御神幸祭では、伊崎町の小門お旅所(おどおたびしょ)が出てきます。壇ノ浦合戦の後、中島四郎大夫正則(なかしましろうだゆうまさのり)という武士が漁師となり、安徳天皇の御尊骸(ごそんがい)を漁の網に引き上げて仮に葬ったと伝わる場所です。祭りの最後が、神宮の中だけで終わらず、海辺の漁と網の話へ向かうのです。
赤間神宮の小話や裏話、豆知識

水天門は、古代からの門ではなく戦後復興の門
赤間神宮の水天門を見ると、ずっと昔からこの姿だったように思えますが、今の水天門は昭和の戦後復興で建てられた門です。昭和20年7月の戦災で社殿は焼失し、境内は大きな被害を受けました。その後、本殿や拝殿が整えられ、水天門は昭和33年に竣工しています。
水天門の構想には、二位尼の「波の下にも都」という言葉が入っています。さらに明治9年に昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が奉納した、海の龍の都を思う歌も関わります。命名したのは徳富蘇峰(とくとみそほう)。赤間神宮の入口に立つ門は、平家物語の一場面と、明治の皇后の歌と、戦後の復興が一つの形になった建物なのです。
水天門が古い戦国の遺構ではないところが、かえって赤間神宮らしいんですね。失われた社殿を建て直す時、ここでは普通の神門を選ばず、海の下の都を地上に置いたのです。
八咫鏡と「水天皇大神」という呼び方
赤間神宮には、御祭祀として八咫鏡(やたのかがみ)、安徳天皇神鏡が伝わります。八咫鏡と聞くと、三種の神器の一つを思いますね。壇ノ浦では、二位尼が安徳天皇を抱き、宝剣を身につけ、神璽(しんじ)を持って入水したと語られます。
三種の神器のうち、鏡と神璽は引き上げられましたが、宝剣は失われたと伝わります。海へ沈んだ幼帝、海から戻った鏡、戻らなかった剣。赤間神宮の話では、神器が物としての宝にとどまらず、戦の終わりに何が守られ、何が水底へ残ったのかという話にもなってくるのです。
赤間神宮では、安徳天皇を水天皇大神(すいてんのうおおかみ)とも称えます。水の神という名ではなく、水に入られた天皇をそう呼ぶ。水天門、拝殿前の水庭、海峡を前にした社地まで、この呼び方が境内の形に表れています。
耳なし芳一は、阿弥陀寺の話として残った
赤間神宮には耳なし芳一堂があります。耳なし芳一の物語は、今の赤間神宮が阿弥陀寺だった時代に伝わった説話で、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲(こいずみやくも)が『怪談』で英語にしたことで広く知られるようになりました。
芳一は琵琶法師です。平家の亡霊に呼ばれ、夜ごと壇ノ浦の物語を語ります。僧たちは芳一を守るため、体に経文を書きましたが、耳だけ書き忘れた。亡霊は経文のない耳を見つけ、そこだけを持っていったと語られます。
ここで怖いのは、亡霊が無差別に人を襲った話になっていないところです。平家の人々は、自分たちの最期を語れる琵琶法師を呼び続けた。芳一堂の前に立つと、怪談がそのまま平家供養の話へ入っていきます。
赤間神宮の見どころ・パワースポット

水天門|壇ノ浦を望む龍宮造りの見どころ
水天門は、赤間神宮を代表する見どころです。朱色の楼門が関門海峡へ向かって立ち、屋根には鴟尾(しび)が飾られ、両側に回廊が延びています。平成30年には国の登録有形文化財になりました。
この門は、安徳天皇と二位尼の物語から生まれた龍宮造りの門です。朱色の華やかさの奥に、「波の下にも都」という言葉を建築にした面があります。海へ向かう門をくぐると、壇ノ浦の話が境内の内側へ入ってきます。
安徳天皇阿弥陀寺陵と七盛塚|祈りの中心になる場所
赤間神宮に隣接して、安徳天皇阿弥陀寺陵があります。壇ノ浦で入水された安徳天皇の御尊骸を葬った場所とされ、古くは御影堂を建て、阿弥陀寺が守ってきました。現在は宮内庁によって護持されています。
七盛塚には、壇ノ浦で海に沈んだ平家一門が祀られています。平知盛(たいらのとももり)、平教経(たいらののりつね)、二位尼・平時子などの名が並びます。平家物語の登場人物が、ここでは墓碑の名として目の前に出てくるんですね。信仰上の参拝所であり、平家ゆかりの地をたどる時の大切な場所でもあります。
耳なし芳一堂と宝物殿|物語と史料に触れる見どころ
耳なし芳一堂は、怪談として有名な芳一の話に触れられる見どころです。お堂には琵琶を抱えた芳一の木像が安置され、7月15日には耳なし芳一琵琶供養祭が続けられています。怪談が年中行事として残っているところに、この土地の平家供養の濃さが出ています。
宝物殿には、長門本『平家物語』、赤間神宮文書、安徳天皇縁起絵図、平家琵琶などが収められています。昭和20年の空襲で焼けたものもありましたが、民間に預けられていた宝物は難をまぬがれました。戦で沈んだ話を祀る神宮が、近代の戦災でもまた多くを失った。その中で残った文書や絵図が、今の宝物殿に入っているのです。
神社属性(繭気属性)の意味と考え方

神社属性とは、人が生まれ持つ「繭気」と、神社に宿るご神気との響き合いを、「五行」「五大」と「霊数」から読み解く考え方です。
「繭」という字が示すように、繭は内側の命を包み、守り、変化を育てるものです。人の気も同じように、魂や身体のまわりにまとわれ、その人がどのような場の気を受け取りやすいかに関わるとされています。
神社は、建物や神様だけでなく、土地の聖性、ご祭神の方向づけ、祭祀と崇敬の積み重なりによって成り立つ場です。
この考え方をさらに詳しく知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
あなたの属性の調べ方|計算方法
西暦の生年月日の数字を一桁に分け足します。合計が二桁になった場合も一桁になるまで続けます。次に血液型の数字を加えます。
A型は1、B型は2、AB型は3、O型は4です。
<例>1990年1月25日生 A型:1+9+9+0+1+2+5=27 → 2+7=9 → 9+1=8
最後に、出た数字を属性に当てはめます。
1・6は地属性、2・8は水属性、3・7は火属性、4・9は風属性、5は空属性。
計算が面倒な方や、すぐに自分の属性を知りたい方は、自動診断ツールをご用意していますので、お使いください。
属性別おすすめ神社

自分の属性に合う神社を探したい方は、ほかの属性別神社も参考にしてみてください。ここでは、各属性に相性の良い神社の一例をご紹介します。
全国の神社属性をもっと詳しく探したい方は、都道府県別の一覧もご覧ください。
