神産巣日神は、命を生み育てる力を表す「産霊の神」です。『古事記』の冒頭に現れる造化三神の一柱で、大国主神の命を救い、国作りを支える神としても登場します。名前の意味や高御産巣日神との違い、神話、ご利益、東京をはじめ各地で祀られている神社を紹介します。
神産巣日神は何の神様?命を生み育てる産霊の神
神産巣日神は、天地のあらゆるものが生まれ、育っていく働きを司る神です。神名に含まれる「産巣日」は「むすひ」と読み、「産霊」とも書きます。「むす」は生成や成長、「ひ」は霊妙な力を表すという説明があり、生命を生み出す力そのものが神として敬われています。
『古事記』では、世界が始まったとき、高天原に三番目に現れます。ひとりで現れる「独神」となって姿を隠しますが、のちに地上の神々を助ける場面へ再び登場します。大国主神の蘇生を助け、自分の子を国作りの仲間として結びつけるなど、出雲の神話に深く関わっています。
性別は『古事記』の誕生場面で明示されていません。「神産巣日御祖命」という呼び名の「御祖」が母神にも用いられることから、母なる神と見る説もあります。現在は、命を守る神としての信仰に加え、人や物事のつながりを育む結びの神としても祀られています。
神産巣日神の別名と造化三神
神産巣日神の読みは「かむむすひのかみ」です。「かみむすびのかみ」などの読みも神社で使われており、東京大神宮はこの読みで案内しています。古い文献では「産巣日」「産霊」「魂」と、同じムスヒを異なる字で表します。
| 区分 | 別名・異表記 |
|---|---|
| 『古事記』 | 神産巣日神、神産巣日之命、神産巣日御祖命 |
| 『日本書紀』の一書 | 神皇産霊尊 |
| 『出雲国風土記』 | 神魂命 |
| 神社での祭神表記 | 神産巣日大神、神皇産霊大神、神皇産霊神 |
「造化三神」は、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神を合わせた呼び名です。『古事記』の最初に順に現れる三柱を指し、神産巣日神だけの別名ではありません。「造化」は、万物を生み出し育てる働きを表します。
また、この三柱に宇摩志阿斯訶備比古遅神と天之常立神を加えた五柱は、「別天津神」と呼ばれます。いずれも、伊邪那岐命と伊邪那美命が国生みを行うより前に現れる神々です。
神産巣日神の御神格・ご利益・ご神徳
神産巣日神は、命の誕生と成長、失われた命の再生に関わる神として語られます。その働きを敬う信仰は、良縁や災難除け、無病息災などの祈りへつながっています。
神産巣日神の御神格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 御神格 | 万物の生成を司る産霊の神、命の再生を助ける神、出雲の神々の国作りを支える神 |
『古事記』には、殺された大宜津比売神の体に生じた蚕や穀物の種を、神産巣日御祖命が取り集めさせる話があります。稲・粟・小豆・麦・大豆と蚕は、人々の食べ物や衣服につながる恵みです。神産巣日神は、食物を司る女神の死のあとに、その種を受け継ぐ役目を担います。
古代の宮中でも、神産日神の名で祀られてきました。『延喜式』では、宮中の巫女が奉仕する八柱の神の一柱に数えられます。祈年祭や月次祭では八柱に供え物が奉られ、天皇の治世の守護が祈られました。魂を鎮め力を満たす鎮魂祭でも祀られ、生成の力とともに、命を守る働きが敬われていました。
神産巣日神のご利益・ご神徳
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ご利益 | 良縁・縁結び、厄事災難除け、無病息災、延命長寿など、祀る神社で伝えられる祈り |
| ご神徳 | 命を生み育てること、命の再生を助けること、国作りや人々の暮らしを支えること |
縁結びで知られる東京大神宮では、神産巣日神を含む造化三神の「結び」の働きが、良縁を願う信仰と結びついています。人や物事を結び合わせ、新しい関係を育む神徳を敬うものです。古い神名の意味としての「生成」と、現在の神社で語られる「縁結び」の信仰が重なっています。
大阪のサムハラ神社では、造化三神に厄事災難除けや無傷安全、無病息災、延命長寿などを祈ります。万物を生み出す神々の生命力をいただき、命と日々の無事を守っていただく信仰です。ご利益の呼び方や祈願の内容には、各神社で受け継いだ特色があります。
神産巣日神の家系図・関係する神々
神産巣日神は独神として現れますが、子神も登場します。『古事記』では少名毘古那神の親として語られ、『出雲国風土記』では神魂命の名で、出雲の神々の親に位置づけられています。父母や配偶神の名は『古事記』に記されていません。
| 関係 | 神名・説明 |
|---|---|
| 子(『古事記』) | 少名毘古那神。神産巣日神が自分の子と認め、大国主神と国を作るように告げます。 |
| 子(『出雲国風土記』) | 支佐加比売命、宇武賀比売命、天御鳥命。神魂命の子として、それぞれ出雲の土地の由来に登場します。 |
少名毘古那神は、海の向こうから小さな舟でやってきた神です。神産巣日神は、自分の手の指の間から抜け落ちた子だと認め、大国主神と兄弟になって国を作り固めるように告げました。二柱は国作りの仲間となり、力を合わせて働きます。大国主神にとって神産巣日神は、命の危機を救い、国作りを助けてくれる神です。
なお、『日本書紀』第八段の一書第六では、少彦名命を高皇産霊尊の子としています。少名毘古那神の親神は、二つの文献で異なります。
『出雲国風土記』の支佐加比売命は、加賀で佐太大神を産む女神です。宇武賀比売命には、法吉鳥という鳥になって飛び渡り、法吉の地に鎮まった話があります。また、天御鳥命は神魂命に命じられ、国を作った大神の宮のために楯を作る役目で地上へ下りました。この話が楯縫という地名の由来として伝えられています。
高御産巣日神と神産巣日神の違い
高御産巣日神と神産巣日神は、どちらも高天原に現れる生成の神です。『古事記』は二柱を別々の神として記し、夫婦や兄弟とはしていません。
高御産巣日神は天照大御神とともに、地上へ神を遣わしたり、天孫の降臨を進めたりします。一方、神産巣日神は、大国主神をはじめとする出雲の神々の命や国作りを助けます。ともに天上から働きかけながら、支える神々や登場する場面が異なります。
神産巣日神の神話・伝承
兄弟の八十神に殺された大穴牟遅神を、神産巣日神が二柱の女神を遣わして生き返らせる話です。大穴牟遅神は、のちに大国主神と呼ばれる神。この最初の受難と蘇生を、『古事記』をもとに描きます。
焼けた石から、もう一度
以下は、原典で確認できる出来事をもとに、現代の読み物として意訳・再構成しています。原文の逐語訳ではありません。
「赤い猪だ。下で受け止めろ」
手間の山の斜面を見上げ、大穴牟遅神は足を踏ん張った。兄たちの声に笑いはなかった。取り逃がせば殺すという言葉が、耳の奥に残っていた。
八上比売が選んだのは、求婚に来た八十神ではなく、荷物を背負っていた大穴牟遅神だった。それから兄たちの目は冷たくなった。今も、山の上から見下ろす顔には、獲物を追う者の高揚とは違うものがあった。
地面が響いた。赤い塊が斜面を跳ね、草をなぎ倒して迫ってくる。両腕を広げた大穴牟遅神は、その表面に毛がないことに気づいた。
猪ではない。火で焼かれた、巨大な石だ。
受け止めた腕が、焼けた石に張りついた。離そうとしても離れず、熱が胸へ、全身へと回っていく。悲鳴は途中で途切れ、土と焦げた臭いの中に、石に焼きついた体が残った。
母は、息子の名を何度も呼んだ。返事を待つ間だけが長く、手を伸ばしても、抱き起こしてやることさえできない。泣いても息は戻らず、それでも母は、そこですべてを終わりにすることができなかった。
母が向かったのは、天にいる神産巣日神のもとだった。言葉にしようとすると喉が詰まり、何度も息を継いだ。息子が殺されたこと、もう一度その声を聞きたいことを、ようやく訴えた。
「どうか、あの子を生き返らせてください」
神産巣日神は、その願いを受け止めた。呼び寄せたのは蚶貝比売と蛤貝比売、二柱の女神だった。「あの子のところへ。命を取り戻してやりなさい」その言葉に、母は初めて顔を上げた。
地上へ遣わされた蚶貝比売は、石に張りついた大穴牟遅神の体を、少しずつこそげ集めた。蛤貝比売がそれを受け、母の乳汁を塗っていく。母は声を出せず、二柱の手を見つめ続けた。
風が草を揺らした。その音に交じって、かすかな息が聞こえた。母が身を乗り出すと、大穴牟遅神の胸が、もう一度ゆっくりと動いた。
目を開けた息子を前に、母の唇が震えた。呼びたかった名が、涙と一緒にこぼれ落ちた。大穴牟遅神は麗しい若者の姿となり、自分の足で立ち上がった。
一歩、土を踏む。もう一歩、前へ歩き出す。その背を見送る母の耳に、たしかな足音が届いていた。
神産巣日神ゆかりの神社・祀られている神社
神産巣日神は、国作りの神話が伝わる出雲のほか、造化三神をともに祀る各地の神社で信仰されています。大国主神を助ける神、縁を結ぶ神、暮らしの無事を守る神と、土地や神社によって親しまれ方にも特色があります。
東京大神宮|東京都千代田区
東京大神宮では、天照皇大神・豊受大神・倭比賣命とともに、造化三神の一柱として神産巣日神を祀っています。飯田橋にある「東京のお伊勢さま」として知られる神社で、東京で神産巣日神に参拝できる代表的な一社です。
1880年、伊勢神宮を東京から拝むための遥拝殿として日比谷に創建され、関東大震災後の1928年に現在地へ移りました。当初は「日比谷大神宮」、移転後は「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後に現在の社名となりました。神前結婚式を広めた神社としても知られ、現在も神前での婚儀が行われています。
命主社|島根県出雲市
命主社は、出雲大社の境外摂社で、正式には神魂伊能知奴志神社といいます。島根県出雲市大社町杵築東に鎮座し、神産巣日大神を祀っています。出雲大社では、大国主大神の命を救い、国作りを守った神として案内しています。
社は巨岩の前に建ち、境内には推定樹齢千年とされるムクノキがあります。1665年、出雲大社の造営に用いるため社の背後の大石を切り出したところ、その下から銅戈と硬玉製の勾玉が見つかりました。岩を神の宿る場所として敬う、古い磐座の信仰を伝える神社です。
サムハラ神社|大阪府大阪市
大阪市西区のサムハラ神社は、天之御中主大神・高皇産霊大神・神皇産霊大神の三柱を祀っています。神産巣日神は、ここでは神皇産霊大神の名で祀られています。
岡山県津山市加茂町に伝わる古い祠の由緒を受け継ぎ、1950年に岡山から神霊を分けて迎え、大阪中之島の豊国神社の摂社として祀られました。1961年に現在の西区立売堀へ移り、岡山の社は奥之院として受け継がれています。「サムハラ」は災難除けや身体健固の護符に記されてきた文字で、この神社では造化三神の創造と生命の力をいただくものとされています。
神産巣日神が祀られている主な神社
| 神社名 | 住所 |
|---|---|
| 四柱神社 | 長野県松本市 |
| 國領神社 | 東京都調布市 |
| 天神社 | 奈良県大和高田市 |
東京では、千代田区の東京大神宮に加え、調布市の國領神社でも神産巣日神が祀られています。國領神社は「千年乃藤」と呼ばれる御神木でも親しまれています。奈良県大和高田市の天神社は、高皇産霊神・神皇産霊神・津速産霊神という三柱の産霊の神を祀る神社です。
