日光東照宮の神社属性は、空属性です。
日光東照宮と聞くと、陽明門や三猿や眠り猫の極彩色が先に浮かびますね。けれど、この神社の中心には、亡くなった徳川家康公をどんな名の神として祀るのか、という大きな選択がありました。明神か、権現か。その名を選ぶ話が、日光の山や川、薬師如来、蛇が橋になる伝承まで呼び込んでいくんですね。
この記事ではそんな日光東照宮についてご紹介いたします。まずは日光東照宮の属性相性から見ていきましょう。

空属性の日光東照宮と相性が良い属性・悪い属性

| 項目 | 属性 |
|---|---|
| 日光東照宮の属性 | 空属性 |
| 相性の悪い属性 | 地属性・風属性 |
| 相性の良い属性 | 空属性・水属性・火属性 |
相性が悪い属性に入っていても、参拝して大丈夫です。神社属性は、参拝先を選ぶときの目安として受け取るものですので、安心してくださいね。神社属性の基本的な考え方や、地・水・火・風・空それぞれの特徴を知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
さて、ここからは日光東照宮の基本情報と、普段の参拝では知ることができない話をご紹介していきますね。
日光東照宮の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 栃木県日光市山内2301 |
| ご祭神 | 徳川家康公 |
| ご利益 | 勝運、出世開運、仕事運、厄除開運など |
| 祭事 | 春季例大祭・神事流鏑馬、百物揃千人武者行列 |
| 公式HP | →日光東照宮の公式サイトはこちら |
日光東照宮は、元和3年(1617)に徳川初代将軍・徳川家康公を祀った神社です。家康公は駿府城で亡くなった後、いったん久能山に神葬され、翌年に日光へ移されました。
現在の主要な社殿群は、三代将軍・徳川家光公による寛永13年(1636)の造替で整えられたものです。日光二荒山神社、日光山輪王寺とともに「日光の社寺」を形づくり、日光山内そのものが信仰と建築の大きなまとまりになっています。
勝運や出世開運の信仰は、戦国乱世を生き抜き、江戸幕府を開いた家康公の生涯と関係しています。ご利益の名前を並べるより、亡くなった人が東照大権現という神号を受け、山の聖地に祀られたところから見たほうが、この神社の輪郭がよく出てくるんですね。
日光東照宮にまつわる話
家康公は、東照大権現という名で日光へ迎えられた
家康公は元和2年(1616)4月17日、駿府城で生涯を閉じました。すぐに久能山へ神葬され、一年後の元和3年4月15日に日光へ移され、4月17日に正遷宮が行われます。このときは「東照社」として鎮座し、正保2年(1645)に宮号を賜って「東照宮」と呼ばれるようになりました。
ここで面白いのは、家康公を神としてどう呼ぶかをめぐって、僧たちがかなり真剣に言い合っているところです。以心崇伝(いしんすうでん)は「明神(みょうじん)」を主張し、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)は「権現」を主張しました。明神は神のあらわれをたたえる名、権現は仏が人を救うために神の姿を借りて現れるという考え方です。
二代将軍・秀忠公の裁定で「権現」が選ばれ、その後、朝廷から示された四つの神号案の中から「東照大権現」が選ばれます。候補には「日本大権現」「威霊大権現」「東光大権現」もありました。家康公は死後に神として祀られ、さらに名を選ばれ、仏の考え方をまとい、東を照らす神として日光へ置かれたのです。
東照大権現の後ろには、薬師如来がいる
東照大権現の本地仏(ほんじぶつ)は、薬師如来(やくしにょらい)です。本地仏とは、神の本来の姿とされた仏のこと。神仏習合の時代には、神と仏を別々の存在として切り分けず、仏が神の姿でこの世に現れると考えました。
薬師如来は、病を癒やし、人の苦しみを救う仏です。『東照宮御縁起』には、家康公の母君が三河国の鳳来寺に子授けを祈る場面が描かれます。この鳳来寺の本尊も薬師如来でした。家康公は、天下人として神になった人であると同時に、生まれる前から薬師の祈りに囲まれた人として語られているんですね。
日光東照社にも薬師如来を祀る薬師堂が造られました。ここは鳴龍(なきりゅう)で知られる場所でもあります。天井の龍の下で拍子木を打つと、音が龍の鳴き声のように返るとされるお堂です。家康公を祀る神社の中で、薬師と龍が出てくる。水の神でも火の神でもない家康公の後ろに、病を癒やす薬師と、雲や雨を呼ぶ龍がひそんでいるのです。
日光山には、家康公を迎える前から山の神と川の難所があった
日光東照宮を語るとき、社殿の華やかさに目が行きますが、その足もとには日光山の古い信仰があります。日光山を開いた勝道上人(しょうどうしょうにん)は、奈良時代の末に大谷川を渡ろうとして、急流に行く手を阻まれたと伝わります。
そこで深沙大王(じんじゃだいおう)が現れ、赤と青の二匹の蛇を放ち、その蛇の背に山菅(やますげ)が生えて橋になった。これが神橋(しんきょう)にまつわる伝承です。日光山の入口には、木の橋や石の橋の前に、蛇が橋になる話が置かれているんですね。
勝道上人はその後、二荒山大神(ふたらさんおおかみ)を祀り、三度目の挑戦で男体山の登拝に成功したと伝わります。二荒山大神は、大己貴命(おおなむち)、田心姫命(たごりひめ)、味耜高彦根命(あじすきたかひこね)の親子三神として語られます。男体山、女峰山、太郎山という山々に神と仏を配した日光山の世界が先にあり、その中へ東照大権現が迎えられました。
「日光」という地名も、男体山の古い名である二荒山に関係する説があります。「二荒」を音読みして「にこう」、そこへ「日光」の字を当てたという話です。補陀洛(ふだらく)、つまり観音の住む浄土の名から来たという説もあり、山の名が仏の世界と行ったり来たりします。そこへ「東を照らす」東照大権現が来るのですから、日光という地名そのものが、かなり強い名前なんですね。
三基の神輿と、七十五膳の神饌
日光東照宮の春季例大祭は、5月17日と18日に行われます。17日には例祭と神事流鏑馬(やぶさめ)があり、夕方には神輿三基が二荒山神社へ渡ります。翌18日の神輿渡御祭が、百物揃千人武者行列です。
この行列は、家康公の神霊を久能山から日光へ移したときの行列を写す祭りです。鎧武者や神職たちが神輿を中心に進み、御旅所(おたびしょ)へ向かいます。御旅所では、三品立七五膳(さんぼんだてななじゅうごぜん)という特別な神饌(しんせん)が供えられます。神饌とは、神前に供える食べ物のことです。
この三品立七五膳は、もとは日光山の滝尾社の神饌形式を取り入れたものと伝わります。徳川の祭りの中に、日光山の古い社の供え方が入っている。行列は家康公の遷座を写し、供え物は山の古い神事を運んでくる。春の例大祭は、武者の行列を眺める祭りであり、日光山の神仏習合の名残が供え物の形で出てくる祭りでもあります。
日光東照宮の小話や裏話、豆知識

三猿は、馬を守る猿として神厩舎にいる
「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿は、日光東照宮の中でもよく知られる彫刻です。場所は神厩舎(しんきゅうしゃ)。ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。
昔から、猿は馬を守るとされました。そのため神厩舎の長押(なげし)には、猿の彫刻が8面あります。三猿は、馬を守る猿が人の一生を風刺する8面の彫刻の中に置かれています。馬の守り役が、いつの間にか人間の生き方まで背負わされている。猿も忙しいものです。
眠り猫は、奥宮へ向かう入口で眠っている
眠り猫は、左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝わる小さな彫刻です。牡丹の花に囲まれ、日の光を浴びてうたたねする姿から「日光」にちなんだとも言われます。
この猫がいる場所がまたよくできています。眠り猫の先は、奥宮へ向かう入口です。奥宮は、拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる、家康公の墓所にあたる場所。奥へ進む手前で、猫が眠っているのです。眠っているのか、守っているのか。小さな猫の先に、東照大権現の墓所へ向かう石段が続きます。
日光東照宮の見どころ・パワースポット

陽明門|500以上の彫刻がほどこされた見どころ
陽明門(ようめいもん)は、日光東照宮を代表する見どころです。いつまで見ても見飽きないことから「日暮の門」と呼ばれ、故事逸話、子どもの遊び、聖人賢人など、500以上の彫刻がほどこされています。
門の名は、宮中の正門の名をいただいたと伝わります。ここに彫られている動物や人物には、理想の政治、平和な世、学問や道徳の世界が詰められています。家康公を祀る神社の入口に、武力の場面よりも聖人や子どもの遊びが多く刻まれているところに、江戸幕府が見せたかった世の中が出ているんですね。
唐門と御本社|祭りが行われる中心の見どころ
唐門(からもん)は、胡粉(ごふん)という白い顔料で塗られた国宝の門です。白い門の上には、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など、中国の故事に関わる細かな彫刻があります。
その奥にある御本社(ごほんしゃ)は、本殿・石の間・拝殿からなる日光東照宮の中心です。例祭をはじめとする年中の祭典も、ここで行われます。石の間で本殿と拝殿を結ぶ権現造の形は、その後の霊廟建築や神社建築にも大きな影響を与えました。家康公を祀る場所が、のちの建築の手本にもなっているのです。
奥宮|家康公の墓所に手を合わせるパワースポット
奥宮(おくみや)は、眠り猫の先にある石段を上った奥にあります。拝殿、鋳抜門、御宝塔からなる場所で、御祭神である家康公の墓所とされます。
ここは、信仰上のパワースポットとして語られることが多い場所です。理由はわかりやすく、日光東照宮の御祭神そのものに近い場所だからです。勝運や出世開運を願う人にとって、戦国を終わらせ、幕府を開いた家康公の墓所に向かって手を合わせる意味は大きいんですね。
奥宮は、陽明門のように彫刻でいっぱいの場所ではありません。石段を上がり、奥へ進み、御宝塔の前に立つ。日光東照宮の派手な色彩を通ったあとに、最後は墓所へ向かう。ここで、東照大権現という神号が、ひとりの人の死から始まっていることを思い出します。
神社属性(繭気属性)の意味と考え方

神社属性とは、人が生まれ持つ「繭気」と、神社に宿るご神気との響き合いを、「五行」「五大」と「霊数」から読み解く考え方です。
「繭」という字が示すように、繭は内側の命を包み、守り、変化を育てるものです。人の気も同じように、魂や身体のまわりにまとわれ、その人がどのような場の気を受け取りやすいかに関わるとされています。
神社は、建物や神様だけでなく、土地の聖性、ご祭神の方向づけ、祭祀と崇敬の積み重なりによって成り立つ場です。
この考え方をさらに詳しく知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
あなたの属性の調べ方|計算方法
西暦の生年月日の数字を一桁に分け足します。合計が二桁になった場合も一桁になるまで続けます。次に血液型の数字を加えます。
A型は1、B型は2、AB型は3、O型は4です。
<例>1990年1月25日生 A型:1+9+9+0+1+2+5=27 → 2+7=9 → 9+1=8
最後に、出た数字を属性に当てはめます。
1・6は地属性、2・8は水属性、3・7は火属性、4・9は風属性、5は空属性。
計算が面倒な方や、すぐに自分の属性を知りたい方は、自動診断ツールをご用意していますので、お使いください。
属性別おすすめ神社

自分の属性に合う神社を探したい方は、ほかの属性別神社も参考にしてみてください。ここでは、各属性に相性の良い神社の一例をご紹介します。
全国の神社属性をもっと詳しく探したい方は、都道府県別の一覧もご覧ください。
